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穂高神社と安曇野141 安曇族(海人族)79 在原業平3

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2016.11.30 穂高神社と安曇野141 安曇族(海人族)79 在原業平3

 

百人一首でおなじみの業平の「世の中に絶えて桜のなかりせば 春の心はのどけからまし」の歌も、惟高親王の立太子を巡っての藤原氏との暗闘の中で詠まれたものであって、『伊勢物語』に記されている歌なのですから、ただ能天気に花を愛でて作られた歌ではなく、このすさまじい権力闘争に関するもっと深い意味が隠されているのではないでしょうか。

 

例えば、わが世の春とばかりに咲き誇る桜を藤原氏に見立て、藤原氏がいなければ、のどかな心で春を迎えられたのに・・・・・とか

 

この段には「散ればこそいとど桜はめでたけれ 憂き世になにか久しかるべき」という歌も記されていますが、この歌のココロは「驕れるものは久しからず」ということでしょうか(^_-)

 

先日の新聞に「日本美術探偵」を自称される橋本麻里氏の「犬神家の一族と源氏物語」と題するコラムがありました。西洋美術においては、秤や剣やシュロの葉など描かれている人物の持っている物がその持ち主を特定する役割を果たすアトリビュートというものが知られているそうですが、日本美術でも同様に、燕子花(かきつばた)が描かれれば『伊勢物語』第9段の在原業平の「東下り」を、木の皮を付けたままの「黒木の鳥居」が描かれれば、『源氏物語』第10帖の「賢木」の野宮での光源氏と六条御息所の別れの場面を疑うといった推理の原則があるのだそうです。

 

同様に、たった三十一文字で情景や感情のすべてを表現する歌の背後にも、先日書いたように古歌や故事や古典、比喩や暗喩や過去の出来事など、当時の人ならその言葉から当然連想したであろう様々なものが存在しているはずだと「古代史探偵・推古」を自称する私は思います(^o^)。私はその推理の原則をまだ見つけてはいないのですが<(_ _)>

 

ともあれ、この歌が詠まれた時の状況を考えれば、「世の中に絶えて桜のなかりせば 春の心はのどけからまし」はただ単に桜を愛でてその美しさを讃えただけのものであるはずはないと思うのですが、三十一文字の解釈には様々な知識を総合することが必要であって、一筋縄ではいかないようです。これは『万葉集』も同様だと私は考えているのですが。

 

このコラムは、『犬神家の一族』の冒頭に登場する「野々宮大弐宮司」から『源氏物語』を連想し、そういう視点でこの小説を読むと登場人物の人間関係が源氏物語をなぞっているように見えるというミステリーの「文学探偵」のお話だったのですが、私はおおいに納得してしまい、『犬神家の一族』を読み直してみようかなという気になりました(^_-)。実はすっかり忘れてしまっていて、おどろおどろしかったという印象以外何も覚えていないのです<(_ _)>

 

このコラムを読みながら、やはり物事の本質に迫ることができるのは、学者さんたちがしているような「文献のつじつま合わせ」ではなく、文学探偵や美術探偵など各種探偵の論理的な推理のようだと「古代史探偵・推古」を自称する私は改めて思いました(^_-)

 

ところで以前、阿保親王と業平について大阪のみつさまが↓のような興味深い情報を教えてくださったことがありました。関東在住の私は、芦屋にも不退寺にもまだ行ってみる機会がないままなのですが(T_T)、歴史の事実を示す痕跡は、意外と身近な所にたくさんあるのですよね!


群馬県にある業平の子孫・長野業政の墓所
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犬も歩けば棒に当たる・・・ デスクワークよりフィールドワークです(^o^)





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