2016.11.12 穂高神社と安曇野125 安曇族(海人族)63 藤森神社
誰の祖先でもなさそうなお稲荷さんよりも、その先にある素戔嗚を祀っているという藤森神社の方に関心があったので、伏見稲荷はパスすることにしたのですが、その伏見稲荷の周辺にはこれから行こうとしていた「藤森神社祭礼」の旗がたくさん立っていました。藤森駅はここから二駅も先なのになぜ?と不思議に思い、藤森神社に行けばその理由が分かるのではないかと思ったのですが・・・・・
ところが藤森神社の周辺は祭礼の大混雑で近づくことができず、近くに駐車場も見つからなかったうえに時間もなかったので、ここはあきらめて先を急ぐことにしました(T_T)。見たいものや知りたいことがたくさんあったので、例によって目いっぱいにスケジュールを組んでいたのです(^o^)。
二日間で宇治から奈良まで南山城を探訪し、3日目には朝食後すぐに京都を発って西国街道を探訪しつつ大阪まで行き、午後の新幹線で帰る予定だったのですが、藤森神社に行けなかったことが心残りで・・・・・
で、3日目の朝食前に行くだけでも行ってみることにしました。まだ5時前だったため、さすがに人も少なくて車を止めることもでき、短い時間でしたが、この神社でいろいろなことを知ることができました\(^o^)/。
藤森神社
由緒
出かける直前に素戔嗚を祀っているというこの神社の存在を知って、どんな場所にあるどんな神社なのかをぜひ知りたいと思ったのですが、たまたま祭礼の日だったので露店がぎっしり並んでいて境内がどうなっているのかよく分からず、素戔嗚命を祀っている社がどこにあるのかも分かりませんでした(T_T)。
たくさんあった社のうちで、一番大きかったのは↓の「舎人親王御神前」と書いてあった建物のようでしたが、これが↑の由緒にある本殿で、1712年に中御門天皇に賜った宮中内侍所(賢所)の建物なのでしょうか?それではこの神社の主祭神は、素戔嗚命ではなくこの建物に祀られている舎人親王なのかな~?
舎人親王御神前の建物
ここに祀られている十二柱ものカミサマの筆頭には素戔嗚命と書いてあるのですが、素戔嗚命に関するものは何も無いようで、舎人親王に関するものばかりでしたから、今の主祭神は舎人親王になっているのかもしれません。
舎人親王は「学問の祖神」になっていました
舎人親王崇敬碑3
追贈の碑