2016.4.13 縄文土器
縄文土器と言えば、井戸尻考古館にはびっくりするほどいろいろなデザインや意匠の縄文土器がたくさん展示してありました(^o^)。およそ5000年前から4000年前の縄文時代(新石器時代)中期のものだそうですが、同じデザインのものはないようです。
今も陶芸家はオリジナリティを出すために土の配合やデザインや模様や釉などに工夫を重ねていますが、人間は土で器というものを作ることを思い付いてからこのかた、ずっと自分独自のものを作ろうとしてきたということなのでしょうね(^o^)。
考古館の縄文土器
井戸尻考古館を調べていたら↓の記事が出てきました。この記事からは誰が何をどう変造したのかさっぱり分かりませんでしたが<(_ _)>、展示されていたのは変造されたものだということなのでしょうか?それとも文化庁が再修復して変造しろ、と言っているということなのでしょうか??
スクープ!縄文土器・土偶が「変造」されている!
館長さんが怒っているということは後者かな(^_-)?
弥生時代とは縄文時代に続き、古墳時代に先行するおよそ紀元前3世紀中頃から、紀元後3世紀中頃までのことだそうですが、これもあまり根拠のはっきりしない曖昧な区分のようです<(__)>。
弥生時代は、水稲耕作による稲作の技術をもつ集団が列島外から北部九州に移住することによって始まったとされているそうですが、稲作が始まった時期ははっきり分かっていないようです。水稲の導入は縄文晩期まで遡る可能性もあるとのことなのですが、縄文晩期というのは弥生人が渡来し始めた弥生初期ということですよね(^o^)。
分子生物学ではY染色体を辿ることで弥生人が分岐したのは3300年前頃、移動を開始したのが2800年前頃だということが分かっていますから、弥生人がやって来始めた(弥生時代が始まった)のは紀元前3世紀中頃よりずっと早いのではないでしょうか(^o^)?
弥生土器と縄文土器の区別もそれほどはっきりしたものではないようですが、これもある時からガラッと変ったわけではなく、少しずつ変わっていったということではないでしょうか。新しい技術は弥生人の移動と共に徐々に広がっていったのでしょうし、いつの時代でも新しい考えや新しいやり方をすぐに取り入れる人もいれば、古いものや伝統のやり方に拘り続ける人もいますし、弥生人は先住の縄文人には新しい技術を教えてあげなかったかもしれませんし、新しい器を作ったからといって古い器を全部捨ててしまったわけではないでしょうしね(^_-)。