2015.8.4 切石の石室と石槨4 関東の石舞台・八幡山古墳3
7世紀前半に築造されたという八幡山古墳から夾紵棺(きょうちょかん)の破片が出土したということが納得できなかったのでさらに調べてみると、「漆塗り木棺の破片は夾紵棺のものではない」とする見方もあることが分かりました(^o^)。破片が見つかったのは、棺が置かれていたはずの奥室ではなく中室だったそうですし、見つかった破片は過去に発見された夾紵棺に比べて厚さが薄すぎるので、何か他の漆塗り製品の破片ではないかという見方があるそうです。
Wikipedia によれば、見つかった破片は「絹布に漆を塗ったもの」だそうですが、紵(苧麻)とは麻のことですし、他の古墳から出土した夾紵棺の破片は絹布ではなく麻布だったのですから、絹に漆を塗ったものだという欠片は、棺の欠片ではないのかもしれません(^o^)。「漆を塗った布=夾紵棺」という固定観念から夾紵棺とされてしまったのかも?
復元された天武天皇の夾紵棺
ホームズは「全く明白にある一つのことを示しているように思える時でも、ちょっと見方を変えると、同じように決定的な感じで、まるで異なることを示しているように見えるものだ。」「どんなときにも、ほかの可能性を考えて、そっちの備えも固めておくべきなんだ。これは犯罪捜査の第一原則だよ」と言っていますが、事件の謎解きと古代史の謎解きは本当によく似ていますね(^_-)。
『新編武蔵風土記稿』には、「八幡社社地は塚の上にて、鋪十間四方、高さ一丈五六尺、巽方(南東)に塚の崩し所あり、その間より石棺とおぼしきもの顕る。」と記されているそうです。この隙間から見えたものが本当に石棺だったのか、石室の石の一部だったのかは分かりませんが、もし石棺だったとすれば7世紀前半という築造時期と矛盾はなくなりますね(^o^)。でもそうすると、江戸時代にはあったこの石棺はどこへ行ってしまったのだろう?という新たな疑問が出てきてしまいますが<(_ _)>。
復元された(?)石舞台古墳の家型石棺
歴史学や考古学は文学的な創造や創作ではなく過去の事実の検証なのですから、謎があるならきちんと論理的に矛盾のないように詰めていくべきであって、思い込みやつじつま合わせでオハナシを創ってしまってはならないと私は思うのですが、史学科って文学部なのですね(^_-)。
幼い頃、シンデレラの絵本を買ってもらって繰り返し読みながら、ガラスの靴を履いて本当に歩けるのかな~?歩いたら割れてしまうんじゃないかな~?靴に合うように指を切ったら痛くて歩けないんじゃないかな~?などと限りなく疑問を持ったのですが(^o^)、これはオハナシなのだからと言われ、オハナシはどんなに納得できなくても疑問を持ったりしてはいけないものらしいと思いました。
『古事記』もシンデレラと同じくらい納得できないことばかりですから、これは創作でありオハナシだと私は思うのですが(^_-)、するとこれは文学に属するものなのだから、シンデレラのオハナシと同じようにロマンとして鑑賞し解釈するべきものであって、疑問を持ったり検証したりするものではないということなのでしょうか(^_-)。