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山の隆起と世界の塩湖 チチカカ湖と諏訪湖24

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2016.1.20 山の隆起と世界の塩湖 チチカカ湖と諏訪湖24

 

九州以外で岩手の次にATLウィルスのキャリアが多かったのは大阪の2.9%で、これには大阪には九州からの移住者や出身者が多いためであろうという可能性を考えられたそうですが、これは歴史的にみても頷けます(^o^)

 

天津族は九州から東征してきて河内に王朝を作った時、兵として連れてきた隼人族を大阪や南山城など周辺に配置したようです。彼らがいた所には、大住や阿多(阿太・阿田)などの地名が残っていて「アタヒメ」を祀る神社が造られていますし、隼人舞や隼人式の横穴墓などが残されています。九州(鹿児島)からの移住者や出身者は、4世紀末の東征の頃からたくさんいたのです。

 

阿陀比売神社

 
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また日本海にある飛島という小さな島が飛び抜けて高い陽性率を示しているのに、その南方80kmにある粟島にはキャリアがいない理由も分からなかったそうですが、これは、飛島に住みついた縄文人の中にたまたまキャリアの男性がいて、粟島に住みついた縄文人の中にはいなかったということでしょう。外とあまり交流がなく小さな島の中で結婚を繰り返したため、妻から子へ、その子が男の子ならその子からまたその妻と子へと感染が広まって陽性率が高くなっていったのだろうと思います。

 

飛島の対岸の象潟も陽性率が高いそうですが、明治時代に山形県に組み入れられるまではこの飛島と頻繁に交通があったのは距離的に近い秋田県の象潟だったそうですからそのためでしょう。

 

この全国的なATLウィルスの調査は各地の血液センターに保存されていた血清を使って行われたそうですが、血液センターはその地方の都市部にあるので必然的に都市部に住む人のものが多く、陽性率は実際より低めにでているのではないか、と日沼先生もお考えだったようですが、歴史的に見れば、現在都市部となっているような所は弥生人が住んでいた所であり、縄文人は辺境に追いやられていたのですから、実際の陽性率は、場所によってはこの調査結果より大きな数値になったかもしれません。

 

この調査は1983年に行われたそうですが、その頃から人の広域な移動や都市への集中は激しくなってきていますから、今は生まれた場所から動かずに一生を過ごす人は少なくなってきているのではないでしょうか。

 

また東日本大震災で大きな被害を受けた岩手・宮城の沿岸部では、リアス式海岸には平地が少なくて公営住宅の建設が難航したため、内陸に移り住んだ人も多いそうで、2015年の国勢調査によれば沿岸部の人口は大きく減少してしまっているそうです。

 

これらの事を考えると、今後この1983年の調査のように地域別の特徴や分布が分かるようなデータは二度と得ることはできないでしょうから、日沼先生のATLウィルスの研究とそのデータは、医学的な業績としてばかりではなく、「人類史」や「日本の古代史」の研究の上でも高く評価されるべき貴重なデータだと私は思います\(^o^)/\(^o^)/\(^o^)/。

 

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