先日テレビで伊奈町のバラ園が紹介されていたので、伊奈町って茨城県かな?と思ったら、埼玉県だということでした。埼玉県のどこにあるのだろうと調べてみると、桶川市・上尾市と蓮田市の間にあって、そのバラ園は埼玉県で一番大きなバラ園だということが分かったので、5.26に行ってみました(^o^)。
園内にはさまざまな品種の色とりどりのバラが咲き乱れていて、レッズのユニフォームの色の「浦和レッドダイヤモンズ」という名前の赤いバラもありましたが(^o^)、その日は暑くなってしまって、バラを鑑賞するには日差しが強すぎました<(_ _)>。
浦和レッドダイヤモンズ
これは早咲きの品種なのか少し盛りを過ぎてしまっていましたが。
桶川市には以前「熊野神社古墳」があることを知って見に行ったことがあったのですが、その時には資料館が休館でこの古墳がどういうものなのかを知ることができなかったので<(_ _)>、バラを鑑賞した後そちらへ回ってみることにしました。
埼玉県の伊奈町は、ひょっとすると茨城県の伊奈町や伊奈備前守と関係があるのではないか?と思ったので、そのことについても何か分かるのではないかと思ったのですが、資料館には「備前堤」の説明があって、この堤が伊奈備前守忠次によって作られたことが記されていました。やっぱり関係があったのですね\(^o^)/。
備前堤
関東平野は古墳時代には海であり、台地の下の沖積低地は江戸時代になってもまだ雨が降ればすぐに冠水してしまうような湿地帯だったのです。その低湿地帯に江戸時代に治水工事を施したのが伊奈備前守忠次・忠治親子で、埼玉県北足立郡伊奈町の町名はこの伊奈備前守忠次に由来するものであり、茨城県の伊奈町は、鬼怒川・小貝川沿いの低湿地帯に治水工事を施して「谷原領3万石」と呼ばれる豊かな穀倉地帯に変えた伊奈備前守忠治に由来するものだったのだそうですが、茨城県の伊奈町は2006年3月に谷和原村と合併して「つくばみらい市」となったために消滅してしまったそうです。
古い地名が消えることで歴史的なつながりや古い地形などがだんだん分からなくなってきてしまっているのですよね(T_T)。
忠次・忠治は関八州の多くの治水工事や新田開発や河川改修に携わり、江戸初期の利根川東遷事業の多くが伊奈氏の業績だそうで、荒川開削、江戸川開削、鬼怒川と小貝川の分流工事、下総国・常陸国一帯の堤防工事などの業績を残したそうです。
水戸市内には忠次の造った備前堀があって、忠次の銅像も建っていましたが、水戸の台地の下も古代には海だった沖積平野ですから、ここでも治水工事に腕を振るっていたのですね。
「備前町」という地名もあるのでついでに調べてみたら、こちらは徳川頼房以来の家老であった中山備前守に由来するもののようでした。