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コメントへのお返事4 遠野3

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2019.4.7 コメントへのお返事4 遠野3
 
今は湖のない安曇野、沼田盆地、甲府盆地、福島盆地、遠野盆地には「大きな湖があった」という「湖伝説」が伝わっていましたが、近江盆地には琵琶湖、諏訪盆地には諏訪湖、会津には猪苗代湖が今もあります。
 
内陸に取り残された海であればそれらは当然「塩湖」のはずですが、琵琶湖も諏訪湖も猪苗代湖も淡水湖であって塩湖ではありませんよね。それはなぜなのか?

その疑問は、世界の盆地や塩湖を知ることで解決しました\(^o^)/。そして、なぜ旧石器~縄文時代の人々はわざわざ海から遠くて塩もない長野県や山梨県や群馬県で暮らしていたのだろう?生命の維持に不可欠な塩はどうやって調達していたのだろう?という疑問も。
 
この二つの疑問の答えは同じだったのです。つまり旧石器~縄文時代にはそれらの湖は塩湖であって塩は身近にあったのだということですね(^o^)。甲府盆地の塩の山には岩塩もあったようですし。
 
長野県の大鹿村で岩塩を探すことに生涯をかけた黒部銑次郎氏は岩塩を見つけることはできなかったようですが、大鹿村や裏磐梯では今でも塩湯が湧いているのです。
 
大鹿村の塩
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会津の塩
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地形の変化は日本国内だけで特別に起きていたわけではなく、地球上どこでも同じ原理で起きていたのですから、世界各地に塩湖があり岩塩があるように日本にもかつては塩湖や岩塩があったのです。
 
それでは旧石器時代には塩湖だった琵琶湖・諏訪湖・猪苗代湖は、なぜ今は淡水湖で、日本国内には岩塩もなくなってしまったのか?
 
これは、岩塩層から塩を取り出す方法には、岩塩を採掘する代わりに岩塩層に水を注ぎこんで濃い塩水にして塩を得るという方法があることを知って解決しました。塩は水に溶けてしまうのです。
 
塩湖が淡水湖になってしまったのも日本には岩塩がないのも、雨量の多い日本では水に溶けて海に流れて行ってしまったからだろうと思います。
 
同じように内陸に取り残された海でも、ほとんど雨が降らない中央アジアの乾燥地帯にできたタリム盆地では、海は塩湖のロプノールとなり、20世紀の半ばには消滅して全体がタクラマカン砂漠となってしまい、サハラ砂漠では塩は砂の下で塩床になり、グレートソルトレイク砂漠やアタカマ砂漠やデス・バレーでは塩原や濃度の高い塩湖になり、ゴビ砂漠では岩塩になっているようですが、雨量の多い日本では、流入する雨水によって塩湖はどんどん薄まって淡水化し、湖がなくなった盆地ではさらに土中の塩分が洗い流されて塩気がすっかり抜けてしまったため、塩原や岩塩ができなかった代わりに盆地は豊かな穀倉地帯になったのです。
 
濃い塩分の残る乾燥した土地では植物は育ちませんから、有機質を含む黒土ができることはなく、塩分を残したままで水がすっかり蒸発してしまった盆地は砂地ままの不毛の砂漠地帯になっているということでしょう。
 
「タリム盆地とロプノール」、「遠野盆地と盆地を満たしていた湖水」は、「土地の隆起によって内陸に取り残された海」という成り立ちは全く同じでも、その後の経過が全く違っていたのです
 

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