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武蔵野台地と湧水82 新川丸池公園2

2019.3.11 武蔵野台地と湧水82 新川丸池公園2
 
勝淵神社の周辺が新川丸池公園になっているようで、公園には池がありました。
 
丸池公園
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ここに行った時にはそれが湧水池で、30000年前の人々はこの湧水を囲むように集落を作っていたのかなと思ったのですが、公園内の水路の水がこの公園の南側の下方を流れている仙川とは逆方向に流れていたので、おかしいと思って調べてみたら、この池は自然の湧水池ではなく、丸池が埋め立てられた後、地元の要望で2000年に造られた人工の池であることが分かりました。
 
既設の井戸に揚水ポンプを新たに設置して、揚水した地下水を自然の湧水が湧き出ているかのように複数地点に導水しているのだそうで、この地下水の一部は循環利用され、残りは仙川へ流下しているのだそうです。川とは反対方向に流れていたのは、この循環する部分だったようです(^o^)
 
そこで昔の丸池はどこにあったのだろう?と改めて調べてみると、現在の杏林大学病院や勝淵神社の辺りは、かつては広大な沼地や水田だったそうで、川床のいたるところから水が湧き出ており、その様子がいくつもの釜(湯水の湧き出している部分のこと)を伏せたように見えたことから、「千釜」と呼ばれていたのだそうですから、かつての丸池は今の丸池とは全く違う大きな湧水池だったようです。
 
「仙川」の名の由来はその「千釜」だといわれ、その豊富な湧水が仙川の主水源になっていたそうで、『新編武蔵風土記稿』や『武蔵野歴史地理』には「千釜」「勝淵」などの名で紹介されているそうです。丸池は現在とは違って周囲に広大な湿地を有する大きな湧水池だったようですし、昔の仙川も今とは全く違う姿だったようです。
 
それではここも山王窪と同じように、雨が降るとすぐに水の出る大きな窪地で湿地だったために、埋め立てられるまでは家がなかったので大規模な団地や病院を造ることができたということのようですね。現在は「三鷹市新川」となっているこの一帯も、江戸時代は「○○窪」と呼ばれていたのかもしれません。
 
江戸時代にはあちこちからたくさんの水が湧き出していて「千釜」と呼ばれていたこの窪地と池は、昭和になると湧水が枯れ人口が増えてきたため、昭和46年に埋め立てられて現在の都営新川団地や杏林大学病院などになったようで、杏林大学ができたのは1970年だそうです。ほんの50年か100年の間でさえも地形はこれほどに変わってしまうのですから、今目の前にある地形や現代の地図で古代の歴史を解釈するのは大間違いなのです。
 
 
 
 
 

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