神話から「武蔵野台地と湧水」に戻ります。
善福寺池と善福寺川の周囲には旧石器時代からの集落遺跡がたくさんあったので、井の頭池と三宝寺池の周囲にも旧石器時代からの集落遺跡があるのではないかと考えたのですが、杉並区の資料館には、井の頭池を源流とする神田川の杉並区を流れている部分の遺跡は詳しく記されていたのですが、杉並区外のことは記されていなかったので、井の頭池と三宝寺池については杉並区では分かりませんでした<(_ _)>。
三宝寺池については練馬区、井の頭池については現在の行政区分では、井の頭池と神田川、公園の西園・東園は三鷹市に属し、井の頭自然文化園と御殿山の雑木林は武蔵野市に属しているため、井の頭池周辺の遺跡を知るには三鷹市と武蔵野市と二つの資料館に行かなければならないのです<(_ _)>。
で、練馬の「ふるさと歴史館」と武蔵野市の「武蔵野ふるさと歴史館」へは1月に行ってみたのですが、
三鷹市の資料館は丸池公園の近くに「三鷹市遺跡展示室」があるということが分かったのですが、そこは困ったことに見学には事前予約が必要なうえ、日曜・休日には開いていないのです<(_ _)>。平日の昼間に遺跡展示室に来る(来られる)人などそんなにはいないだろうと思うのですが・・・・・
そこで土曜日に休みが取れた日に電話してみたのですが、土曜日も休みのようでした(T_T)。けれどそこには湧水池があり、湧水の周りにはやはりいくつもの遺跡があることやその展示館は遺跡の中にあるらしいことが分かったので、湧水とその周辺の地形だけでも見てみようと行ってみることにしました。というわけで、先日新川丸池公園に行ったのは仙川を見に行ったわけではなく、公園の近くに遺跡展示館があるからだったのです(^o^)。
勝淵神社
仙川郷の領主は、柴田勝家の孫・勝重で、その勝重が北の荘で自害した祖父・勝家の兜をこの神社に祀ったということが分かりました。
兜塚
けれどこの神社の祭神は水波能売命(みづはめのみこと)だそうですから、この神社は柴田氏の祖先を祀る祖廟として造られたものではなく、それ以前からこの湧水池に祀られていた「弁天様」だったようです。そして、この湧水地の周りにも、湧水にはつきものの弁天だけではなく、旧石器時代からのたくさんの遺跡もあるようでした。
遺跡展示室は休だったので資料は入手できませんでしたが<(_ _)>、丸池遺跡の立川ロームⅩ層(約30000年前)からは黒曜石製石器が出土していたそうですから、やはりこの湧水の周りにも旧石器時代からずっと人が住んでいたのです。