2019.3.6 武蔵野台地と湧水78 『古事記』とギリシャ神話
世界中の神話がみな似たり寄ったりなのは、カミサマも神話もニンゲンが創り出したものであって、創り出した動機や目的が同じだからなのでしょう。
ギリシャ神話と日本神話が似ていると思うところはいろいろあるのですが、例えば、
ギリシャ神話が「世界の始まりはカオスだった」としているのに対し、古事記は「世界の始まりは混沌だった」としている
ギリシャ神話が「ゼウスの妻のヘラが火の神・ウルカヌスを生んだ」としているのに対し、古事記は「イザナギの妻のイザナミは火の神・カグツチを生んだ」としている
ギリシャ神話が「死んだ妻を連れ戻しに冥府に行ったオルフェウスは、見てはいけないと言われた妻を振り返って見たため連れ帰ることができなかった」としているのに対し、古事記は「死んだ妻を連れ戻しに黄泉の国に行ったイザナギは、見てはいけないと言われた妻をのぞき見したために連れ帰ることができなかった」としている
ギリシャ神話が「ゼウスの6世の孫のパリスがゼウスの娘・ヘレネと駆け落ちした」としているのに対して、古事記は「スサノオの6世の孫の大国主がスサノオの娘・スセリヒメと駆け落ちした」としている
などなど・・・・
特に最後のオハナシなどは、いかに「神話には時間の観念がない」とは言ってもムチャクチャですよね~。『古事記』がこんなでたらめなオハナシを書いてしまったのは、この部分はギリシャ神話の完全なパクリだったということでしょうか。
ギリシャの神々は必ず男女の交わりから生まれているそうで、していることも聖性には乏しいけれど、それだけ人間臭く親しみやすいのだそうですが、日本の神々も同じようにイザナギとイザナミの交わりから生まれたとされていますし、その神々がアメノウズメのストリップダンスを見て大喜びしている様子など、聖性に乏しくて人間臭いところまでそっくりのようです(^o^)。
頭が8つあるヤマタノオロチのオハナシも、ギリシャ神話からヒントを得て創ったオハナシのように思えますし(^_-)。
私は、ギリシャのカミサマも日本のカミサマも人間だと考えています。トロイア戦争は、ゼウスの娘のヘレネと6世の孫のパリスの駆け落ちから始まったという荒唐無稽なオハナシになっていますが、そのトロイア戦争の遺構はシュリーマンが実際に発見していますしね(^o^)。
ところで、3.4に「多喜窪」という窪地は殿ヶ谷戸の古い小字名なのかな?と考えたのですが、「多喜窪遺跡」という縄文時代からの遺跡があることが分かったのでその場所を調べてみたら、国分寺の西(殿ヶ谷戸とは反対側)であることが分かりました。国分寺市西元町2丁目~ 4丁目の辺りのことのようで、縄文時代中期前半の大集落があったとみられるそうです。それではここにも大きな湧水池があったのでしょうね。
殿ヶ谷戸の湧水の周囲には「花沢東遺跡」という旧石器時代からの遺跡があるようです。