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武蔵野台地と湧水74 浴恩館公園2 

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2019.3.2 武蔵野台地と湧水74 浴恩館公園2 
 
水がなかった園内の水路
イメージ 1 
水があった浴恩館の裏手の池
イメージ 2 
けれどこのすぐ外側にある仙川の水路には全く水がありませんでしたから、この池も今は地下水を汲み上げているのかもしれませんが、この浴恩館の敷地のような「雑木林の中に湧水池があり、そこから流れ出した小さな流れが集まって東に流れていく川になる」という風景が、昭和初期までの典型的な武蔵野の風景だったということのようです(^o^)
 

石神井川になる小金井公園の二つ池も、黒目川になるさいかち窪や柳窪も、仙川になるサレジオ学園の池も、野川になる恋ヶ窪の池も、みな同じような風景だったようですから。

 
小金井公園の二つ池 
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さいかち窪
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柳窪
イメージ 5 
浴恩館の裏の仙川の水路には橋が架かっていて、「次郎橋」と記されていましたが、これは下村胡人とこの地で書かれた『次郎物語』に因んだ名前なのでしょうね(^o^)
 
イメージ 6

水のない仙川
イメージ 7

敷地内には下村胡人が『次郎物語』を執筆した「空林荘」という建物もあったそうですが、これは平成25年に焼失してしまったのだそうです。
 
文化財センターには『小金井市の歴史散歩』があったので一部購入してきたのですが、それによると浴恩館の建物は、昭和天皇の即位式が京都御所で行われた際に神官の更衣所として使用された建物が下賜されたものなのだそうです。この建物はたった一度、その日に何人かの神官が着替えるためだけに造られた建物だったのでしょうか?
 
即位式と言えば、5月の即位式には、天皇の礼装だという「冕冠(べんかん)」が使われるのかな?と思ったのですが、明治以降は礼服と冕冠ではなく、黄櫨染御袍(こうろぜんのごほう)という束帯姿になっているようです。
 
冕冠とはどういうものかというと、東大寺の聖武天皇の絵(小泉淳作・画)や法隆寺の聖徳太子の像が被っているあのタマスダレのようなものなのですが、法隆寺の聖徳太子座像は、天皇でもないのに冕冠を被っているのですよね。
 
この像は、天皇だけが着用できる礼冠であるはずの冕冠を天皇ではない人が被っているだけではなく、平服姿に礼冠を重ねて被っているという、本来あり得ない姿のようなのですが、[ fri***** ]さまが「あなたより頭脳明晰で人格も優れている」とおっしゃる学者さんたちは、そういった矛盾に疑問を持つことはないようで、どんな矛盾にでももっともらしい理屈(屁理屈?)つけて正当化してしまうようです<(_ _)>
 
そして、それが歴史界では伝統的に正しいやり方とされているようで(?)、そのような非論理的なつじつま合わせに少しでも疑問を持ったりすると私個人の人格まで否定されてしまうということのようですね。
 
ネコビタイ便り
一昨日の雨は催花雨になったようで、サンシュユの黄色い小さな花が一斉に開き始めました(^o^)
 

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