2019.2.18 武蔵野台地と湧水63 湧水と鷹狩
2018.12.7に「善福寺川源流から8.8km」の表示を見て川の源流と湧水に興味を持ち、
身近に湧水がたくさんあることを知って武蔵野台地の湧水と源流探訪を始めたのですが(^o^)、どこに行っても「家光が鷹狩りに訪れた」ことが記されているのは驚きでした。将軍って鷹狩ばかりしていたのでしょうか(^o^)。
高円寺は、元は小沢村だったのが、家光が鷹狩の時に頻繁にこのお寺に立ち寄ったので「高円寺」という地名になったのだそうですし、
妙正寺には「家光が鷹狩の時に立ち寄って葵の紋幕と朱印地五石を寄進したので御朱印寺になった」と記されていましたし、
妙正寺
井の頭には鷹狩のための御殿まで作っていたようですし、碑文谷池の辺りには「目黒筋」の鷹場を監視する鷹場番所があったことに由来するらしい「鷹番」という地名までありますし・・・・・
石神井にもよく鷹狩に来ていたようで、石神井城の跡地に建つ三宝寺の山門は、江戸時代には「御成門」とされていて、庶民の通行は禁じられていたのだそうです。
鷹狩の時の御成門だった三宝寺の山門
けれど、鷹場とされていた村は代官と鷹場役人の二重支配を受け、鷹の餌の調達や鷹場役人の接待の義務を負わされ、鷹場を保全するために生活も規制されて大変だったようです。
3代将軍・家光は特に鷹狩を好み、将軍在職中に数百回も鷹狩を行ったのだそうです。だからどこに行っても「家光が鷹狩に来た」と書いてあったのですね(^_^.)。
けれど将軍家の鷹場とされていた村々は「またか・・・」とさぞ迷惑していたことでしょう<(_ _)>。
そういえば、「目黒のさんま」も将軍が目黒に鷹狩に行った時のオハナシですよね(^o^)。