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コメントへのお返事 武寧王とスベクヒャン

2019.2.16 コメントへのお返事 武寧王とスベクヒャン
 
「スベクヒャン」の話です。韓国のドラマなので、日本と結びつけてストーリーを展開するのは難しい部分もあると思いますが、初めは手白香皇女を意識していたようです。ただ、韓国でも話題(問題?)となって漢字を「守百香」に直したそうです。諸々根拠は薄いようですが、武寧王が日本で生まれ育ったならば、手白香皇女が娘で日本で嫁ぐことは、個人的にはありかなと思ってます。この辺も新しい発見があればこれまでの定説は変わってしまうので、それを待ちたいですね。いつになるか分かりませんが・・ 
2019/2/15(金) 午後 4:33 [ pcat2s ]
 
 
手白香皇女は日本書紀』では継体天皇の皇后で欽明天皇の母ということになっていますが、欽明天皇は応神天皇の末子のウジノワキノイラツコの息子で応神天皇の孫であり、崇神天皇の子孫である継体天皇の子ではありませんから、手白香皇女が欽明天皇の母というのはウソです。
 
応神天皇が神功皇后の子で270年に即位した天皇だというのも、継体天皇が応神天皇の5世の孫だというのも『日本書紀』のウソなのです。天皇の系譜を見れば200270に在位したとされていた15代神功皇后は削除されていて、それまで16代天皇とされていた応神天皇が15代天皇になっており、神功皇后が在位していたという200270年は空白になっています。

応神天皇は462年に生まれた武寧王の父で464506年の天皇(当時の名称は大王)であって、3世紀の仲哀天皇と神功皇后の子であるというのもウソなのです。そのことについては「古代の地形から『記紀』の謎を解く」をご参照ください。
 
6世紀の継体天皇が応神天皇の5世の孫であるというのももちろんウソで、その皇后になって欽明天皇を生んだとされている手白香皇女は、仁賢天皇と春日大娘皇女(雄略天皇の娘)の子で武烈天皇の姉であることになっているようですが、仁賢も雄略も武烈も架空の人物ですから手白香皇女も欽明天皇の母として創られ架空の人物だろうと思います。
 
朝鮮半島の歴史を全く知らなかった私は、初めて韓国歴史ドラマを見た時、事実に基づいた本当の歴史なのかと思ってしまったのですが<(_ _)>、ドラマにはフィクションの部分が多いようですね。
 
例えば「チャングム」では、「大長吟(テジャングム)と呼ばれた医女がいた」というのは事実のようですが、波乱万丈のドラマのほとんどはフィクションだったようです。
 
以前教えていただいた「クンチョゴワン(近肖古王)」には日本から来たチング姫という人が出てきたので、それはいったい誰のことなのだろう?と調べてみたら、漢字では「神功姫」となっていましたから(^o^)、『日本書紀』を意識してオハナシを創っているのは確かなようですが、神功皇后は架空の人物ですし「神功皇后」は8世紀に作られた諡号ですから、生きている間に「チング姫」と呼ばれていたはずはないのですよね(^o^)
 
武寧王にスベクヒャンという娘がいたという記録があるわけでもないようですから、ドラマの「武寧王は蓋鹵王の息子である」ということも、「武寧王にスベクヒャンという娘がいた」ということも、「父違いの妹が王女になりすました」ということもフィクションだろうと思いながら、56世紀の朝鮮半島の様子を知るために見ています(^o^)
 
百済が高句麗と戦って衰退していたことや、武寧王が衰退した百済を立て直した「百済再興の王」だったことは史実のようですから。
 
 
 

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