Quantcast
Channel: 歴史探訪
Viewing all articles
Browse latest Browse all 1389

武蔵野台地と湧水61 矢川と遺跡

$
0
0
2019.2.15 武蔵野台地と湧水61 矢川と遺跡
 
湧水の多い国立市には遺跡も多いようです。

 国立市の遺跡
イメージ 1

湧水量の多い矢川緑地を挟んでは、北側に向郷遺跡、南側に緑川東遺跡(№.8)が記されています。緑川東遺跡からは他の湧水のある場所と同様に、旧石器時代から縄文早期・中期・後期に渡る集落跡や敷石住居跡などが発見されているそうですが、川向うの向郷遺跡は国立市ではなく立川市なので調査対象ではないようです<(_ _)>
 
でも当時は市の境界などなかったのですから、同じ水源を囲んでいるこの二つの遺跡は相互に関連のある一体のもので、同じ時期の同じようなものが出土しているだろうと思うのですが、向郷遺跡については立川市の資料館に行かなければならないようです<(_ _)>
 
矢川を地図で辿ってみたら矢川弁財天の池に行き着きましたから、矢川の源流は弁天の湧水池のようですが、ここには道の途中で見て立ち寄っただけだったので、そういう位置関係にあったことや矢川の源流であることは今日まで知りませんでした。
 
緑川東遺跡は旧石器時代からの複合遺跡になっているようですから、矢川の源流の矢川弁財天の湧水池の周囲にも同じような遺跡があるのだろうと思うのですが、こちらも立川市ですから立川市の資料館に行かなければ分からないのでしょうね<(_ _)>
 
実際に見ないと地形などは分からないのですが<(_ _)>、矢川弁財天は箕輪城の鬼門除けとして作られたという記述を見つけたので箕輪城を調べてみると、この城は『日本城郭大系』にも『立川市史』にも記されていないので場所ははっきり分かっていないそうですが、『立川市史研究』には立川台地の突端部にあって、その辺りからは多数の石器や土器などが出土していたことが記されているそうです。
 
台地の突端で湧水があり、旧石器時代からの遺物が出ているのであれば、そこには旧石器時代からの集落があって、中世には城が造られていたという可能性は高そうですが、通りすがりに見ただけではっきりした記憶がないので、温かくなったらもう一度行ってみようかな♪ 立川歴史民俗資料館にも資料収集に行ってみたいし。
 
立川歴史民俗資料館は昭和記念公園の近くのようですが、昭和記念公園には大きな池がいくつもあるようです。立川市も湧水が多い所のようですから、ひょっとするとその池も湧水池でしょうか。
 
矢川は立川段丘のママ下湧水を集めて青柳段丘に流れ、青柳段丘のママ下湧水も合わせて谷保分水に注いでいるようですが、立川段丘の湧水を集めて立川村から青柳村に流れていた根川という川もあったそうです。大雨のたびに氾濫して被害を出していたので、流路変更や埋め立てや改修を経て今は「根川緑道」になっているそうですが。
 
湧水を調べてみると、かつてはどこでも大雨になると氾濫して大きな被害を出していたようですが、湧水が激減し、河川改修が進んだ今でも大雨が続くと氾濫することがあるようで<(_ _)>、先日行った時には全く水がなかった黒目川の源流のさいかち窪や柳窪も、2017年の台風21号の大雨の際には大量の水が湧いて川の水位が上がり激しい流れになっていたのだそうです。
 
2019.1には全く水がなかったさいかち窪 
イメージ 2

黒目川
イメージ 3
 
柳窪
イメージ 4

 
 

Viewing all articles
Browse latest Browse all 1389

Trending Articles