「東京の名湧水57選」に載っていたのは「ママ下湧水群」で、私が行ったのは地図に「ママ下湧水公園」と記されていたくにたち郷土文化館の西にある湧水点だったのですが、湧水はそのあたりだけではなかったようです。
立川市と国立市との境目にある矢川緑地の中には湧水池といくつもの湧水ポイントがあって、それらの湧水を集めて国立市を南に流れる長さ1.5kmの矢川は川全体が湧水からなる清流のようですが、「ママ」とは小さな崖のことで、「ママ下湧水」とはその崖下から湧き出す湧水のことだそうですから、矢川流域全体が「ママ下湧水群」ということのようですね。
矢川緑地から南へと流れてきた矢川は、青柳崖線に沿って東に流れてきたママ下の川と合流して谷保分水という疏水になるそうですが、国立市では今でもまだ豊富な湧水量があるようです(^o^)。
ヤクルト中央研究所の辺りからは中央自動車道の向こうに富士山が見えていて、南側を谷保分水が流れているようですが、北側にも小さな流れと流れに沿ったハケ下の道がありました。この道沿いにも湧水があるようです・
北側のハケ下の道
ヤクルトと城山公園入口
青柳崖線の上の谷保天満宮の森
甲州街道は崖線の上の台地を通っています。
ところで、昨日↓の
を読み返してみて改めて思ったのですが、法隆寺の秘仏とされている聖徳太子座像が頭にのせているのは冕冠(べんかん)というもので、この解説をされていた方によれば、冕冠は日本では天皇礼冠とも呼ばれていて、天皇の即位や朝賀の儀などの特別な日に袞衣(天皇礼服)とともに着用されるものだったようです。
でもそれならば「聖徳太子」は天皇でもないのに、なぜ天皇礼冠を着用しているのでしょうね?しかも臣下の平服のままで。
天皇ではなかった太子が「日出処の天子」を名乗って隋に国書を送ったということにしても、天皇礼冠を着用していることにしても、私は絶対にありえないことだと思うのですが、学者さんたちは疑問を感じることもなくもっともらしい理屈をつけてつじつまを合わせてしまい、それが「中央」の考える「日本の歴史」として教科書に載せられて教え込まれているのですよね。私には学者さんたちのその理屈がもっともだとはとても思えないのですけれどね~<(_ _)>。
ネコビタイだより
幸福の木(ドラセナ・マッサンギアナ)が咲き始め、
鉢植えのバジルにも花が咲いていてしまいました。