鈴木遺跡では3万~1万年前に堆積した立川ローム層から遺物が発見されていて、旧石器時代には2万年くらいの長い間に渡って人が住み続けていたそうですが、縄文時代の遺物や住居跡は発見されていないのだそうです。
河道の痕跡は見つかっているけれど縄文時代にはこの湧水は枯れていたようで、石神井川の水源は1km東方のゴルフ場に移っていたと考えられ、縄文時代にはここには人が住んでおらず、狩猟の場になっていたようだというお話でした。
1km東方の小金井カントリーやその東隣の小金井公園には大きな池があるのですが、それらの池は湧水池のようですから、それならこれは、地殻変動か地震など何らかの理由でそれまで暮らしていた場所の湧水が枯れてしまったため、そこで暮らしていた人々が他の湧水のある所に移動したということなのではないでしょうか。
水がなければヒトは暮らせないのですが、武蔵野台地には他にもあちこちに湧水があったのですから、旧石器時代に鈴木遺跡に住んでいた人たちは、湧水が枯れてしまった縄文時代には1km東にあった現在の小金井カントリーや小金井公園の湧水の周りに移動したということだろうと思います(^o^)。
この鈴木遺跡は、昭和49年に鈴木小学校を造るときに発見され、その後、周囲に新小金井街道やマンションなどが造られる時に逐次発掘調査が行われて全容が分かってきたのだそうですが、小金井カントリーの池の周りを発掘調査する機会などは今後もないのでしょうね<(_ _)>。
先日、武蔵野台地の湧水はどこも枯れてきてしまっているようだと考えていた時、夕方のニュースで、「池の水が枯れて錦鯉が死んだ・・・生活用水や田んぼに水を引いていた湧水が枯れてしまって死活問題だ・・・生活用水は給水車頼りで、田んぼを作ることはできなくなった・・・集落は消滅してしまう・・・」という声が聞こえてきました。
なぜ?どこで?と思ったら、九州新幹線長崎ルートの久山トンネル建設工事で周辺の井樋ノ尾(いびのお)地区などで湧水が枯れ、河川や井戸の水位が低下してしまったのだそうです。井樋ノ尾地区は、長崎街道沿いにある豊富な湧水で知られる山あいの集落で、生活用水の全てを湧水で賄っていたのだそうですが。
縄文時代に湧水が枯れた鈴木遺跡に縄文時代の遺跡がないのは、「湧水が枯れたら集落は消滅してしまう」という井樋ノ尾地区と同じことが旧石器時代のこの集落でも起きていたのだろうと思います。
毎年メジロや ヒヨドリが全部食べてしまうムベですが、不老長寿の実」として珍重されているそうなので、久しぶりに自分で食べてみようかと思い、今年は2個だけ収穫してみました。もう少し萎びかけていましたが(^o^)。
10年以上前(?)に突然に花が咲き、その強い香りに驚いたことがあった幸福の木(ドラセナ・マッサンギアナ)が久しぶりに蕾を二本伸ばしていることに気が付きました(^o^)。