日本史村の拠点の一つである東大・史料編纂所では、六国史に続く日本の正史となる“大日本史料”の編纂が戦前から営々と行われています。膨大な古文書との格闘のようであり、現在までの処、江戸時代の初め(~1623)まで進捗しているそうです。もう一つの拠点・宮内庁書陵部では、明治・大正・昭和天皇の正史を編纂してきたようです。昭和天皇が完結すれば、次は平成天皇の正史編纂になるようです。日本は天皇の治世を記した正史が長らく編纂されなかったので、時代を遡る正史編纂作業が終わるまでは、始めに戻って記紀を見直すことにはならないそうです。梅原猛(1925~2019)氏が創設した“国際日本文化研究センター”に所属する歴史学者の面々には同じ日本史村の拠点の一つではあるが、黙りこくったりしないで日本・古代史の解明が期待されている。
2019/1/17(木) 午後 9:27 [ kojita ]
私は先日コメントを戴くまで「日本史村」という言葉を知らなかったのですが<(_ _)>、kojitaさまのご説明では、「東大を頂点とする皇国史観を信奉する学者さんたちのこと」のようですね。『記紀』の記した作り話の歴史を「日本の本当の歴史」だと信じる(または信じさせたい)人たちのことだという理解でよろしいでしょうか?
そうであれば、その大本山は宮内庁なのでしょうね。大山古墳を架空の仁徳天皇陵にするなど、作り話の架空の天皇にもみな陵墓を治定し、適当なものがなければ自然の丘を成型したり、円墳と方墳をくっつけて前方後円墳に成型してそれらしいものを造ってしまったりし、
それらのウソや捏造がバレないように「天皇陵」として囲い込んで、立ち入りや調査を禁止してきたりしたのは宮内庁(省)のようですし、
『記紀』の作り話を元にした「神を祖先とする血統」だとか出自だとか家柄だとかといったものを権威の元としているのも宮内庁のようですから(^o^)。『黒書院の六兵衛』に登場した下級武士の妻のしずゑさんは、そんなものは本質には何の関係もないと笑い飛ばしていましたが(^o^)・
私は歴史界のことを全く知らないので、東大・史料編纂所も知らなかったのですが<(_ _)>、史料編纂所のオシゴトとは膨大な古文書と格闘してそのつじつまを合わせることで、古文書に記されていることが事実かどうかを精査することではないようですね。論理的に到底あり得ないことでも『記紀』や古文書に書いてありさえすれば「事実」と信じて、つじつまを合わせるための非論理的な「説」をひねり出してしまうので、世間一般の通念では「歴史学者は浮世離れしている」と思われているのかもしれません(^_^.)。
文献をたくさん知っているということが「アカデミック」ということのようなのですが、文献の虚構を事実と思い込むのは、今風に言えばVRの世界に生きているということでしょうか(^_-)。
私は「国際日本文化研究センター」も知らなかったのですが<(_ _)>、この名前は以前聞いたことがあるような気がして探してみたら、2013年に新聞のコラムで見ていました。
明治政府の神祇官がデッチ上げた「国家神道」にも、福井県の平泉寺白山神社の第4代宮司で東大教授だった平泉澄氏が作り出し、
戦前の政府が利用した「皇国史観」にも迎合しなかった能登に伝わる「平国祭(おいで祭り)」などのお祭りや伝承は「謎めいたもの」ではなく、作り話やデッチ上げではない当時の本当の歴史や出来事を伝えているということが能登に行ってみたら分かったのですが\(^o^)/。