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武蔵野台地と湧水32 池と湧水9 代々木八幡

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2019.1.15 武蔵野台地と湧水32 池と湧水9 代々木八幡 

 
目黒の碑文谷八幡から渋谷の代々木八幡に回ってみました。
 
ここはもうかなり(10年以上?)前に行った時、境内に縄文時代の復元住居があって、この小高い所は台地の端で下は海だったと記されているのを見て、その海はいったいどこから続いていたのだろう?と疑問に思った場所だったのですよね(^o^)

 
そのうちにだんだん遺跡や貝塚や神社と海の関係が見えてきて、古代の地形や海岸線は今とは全く違っていたことが分かってきたことで様々な謎が解けてきたので、2011年に「古代の地形から『記紀』の謎を解く」にその時点までに分かったことをまとめたのですが、当時はまだそういう見方をする人は少なかったようで「奇を衒った説だ」とか「これが受け入れられるとしてもあなたが死んだ後だろうね」とかと言われたのですが(^_^.)、今回行ってみたら出土品の展示施設ができていて、ここが台地の端で台地の下が海になっている図も展示してありました\(^o^)/。
 
出土品の展示施設
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境内案内図 
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この遺跡は、昭和25年に渋谷区史を作るために発掘が行われて発見されたのだそうですが、ここは海に突き出した半島の端で、前の低地は海が退き始めた沼のようなところだったとも記されていました
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作り話の『記紀』を元にして書かれた学者さんの非論理的な「歴史解釈本」よりも、各区が編纂している「区史」の方がずっとまともなことが記されているのですよね(^_-)。
 
境内の縄文時代の復元住居は、前回行った時には新築物件(?)だったのですが、今回はボロボロの廃屋になりかけていました<(_ _)>
 
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去年、杉並区で見た復元住居はコンクリート製だったので「え?」と思ったのですが、人が住んでいるわけでもなく、頻繁に建て替えられるわけでもない古代の住居を後世に伝えるためには仕方がないのかもしれませんね。忠実に再現されたものは、定期的に中で火を焚くなどの手がかけられているようですが、それでも茅などは恒久的な素材ではないわけですし。
 
杉並 松ノ木遺跡のコンクリートの復元住居 
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火焚き中の多摩市の遺跡公園「縄文の村」の復元住居
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地形の変化といえば、北区の飛鳥山博物館には荻窪以東が全部古東京湾の海になっている地図が展示されていて、123万年前の北区は全域が海で8万年前以降に陸地化したことや、1万年前頃には奥東京湾の海になっていたことや、67000年前にはこの奥東京湾は群馬県の舘林まで伸びていたなども記されていました。
 
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