2018.12.22 武蔵野台地と湧水14 三宝寺池?石神井池?
地名は、それがどこなのかが分かることが大事ですから、善福寺ができると池は善福寺池・川は善福寺川、妙正寺ができると池は妙正寺池・川は妙正寺川と呼ばれるようになり、永福寺ができるとその村は「永福寺村」と呼ばれるというようにお寺をランドマークにしていたようです。
そういえば「高円寺」もお寺の名前で、ここは、江戸以前は小沢村だったのだそうですが、鷹狩に来た家光が高円寺に頻繁に立ち寄ったことで高円寺が有名になり、地名が「高円寺」に変わったのだとか(^o^)。小沢は真盛寺の湧水池から流れ出していた小沢川に由来し、流域には昭和30年代頃まで牧場があったそうですが、この川も今は暗渠になっているそうです。東京には本当にたくさんの川があったのですね~。
この三宝寺池のほとりには中世に豊島氏の石神井城があり、この池を源流とする川は「石神井川」なのですから、私はこの池は「石神井池」なのだと思っていたのですが、石神井池は、三宝寺池から周辺の田んぼに水を引いていた水路をせき止めて1933年に人工的に作られた通称ボート池と言われている池の方なのだそうです。
三宝寺池・石神井池・石神井城跡
三宝寺池の湧水は石神井川の主水源だったようですが、石神井川の源流はもっと西の小平市にあるようです。
石神井川の谷頭と起点
現在の石神井池
石神井城の跡地は現在三宝寺の境内になっていますから、お寺の方が城より後なのです。それならこの池が「三宝寺池」になったのは三宝寺が造られた後で、それ以前のこの池は「石神井池」だったのではないでしょうか。お寺ができて「石神井池」が「三宝寺池」になったので、その後1933年に造られた新しい池が「石神井池」になったのかもしれませんね(^o^)。
三宝寺池には日本で最初の100mプール(府立第四公衆遊泳場)があったことを「練馬区史」で知った時、私はそのプールは水路をせき止めて作った人工の石神井池のことなのではないか?と思ったのですが、プールが作られたのは1918年で、石神井池が作られたのは1933年だそうですから、100mプールがあったのは本当に三宝寺池の方だったのですね。
このプールは、今は痕跡もないようですが、1924年にはコンクリート造に改修されてオリンピック選手の練習場になり、1955年には石神井釣道場(釣り堀)になったのだそうです。その釣り堀も今はありませんが、この時に作られた売店は今もありますから、プールがあったのは売店の辺りだったようです。
郷土資料には思いがけないことがいろいろ記されているのですが、ここには3ヵ所の湧水があったそうですから、そのうちの一つが100mプールの水源になっていたのでしょうか?
でも、ここもやはり都市化によって湧水量が減少してしまったため、現在は善福寺池や妙正寺池と同じように揚水した地下水を流しているのだそうです。
三宝寺池の湧水は、1920年代頃までは100mプールが作れたほどに量が多く、水質も良かったようですが、今は 泳げるような水質には見えません。1955年にプールが釣り堀になってしまったのは湧水が減って水質が悪化したからだったのでしょうか。
三宝寺池の湧水量が多かったため、石神井川は暗渠にはされなかったようですが、武蔵野台地の湧水はいずれも都市化によって枯渇寸前のようです<(_ _)>。天然の貯水池であった田や畑がほとんどなくなってしまったのですものね。