2018.12.21 武蔵野台地と湧水13 地名の由来
地形の記憶と言えば、地名が記憶しているのは地形ばかりではありません。たとえば、「善福寺池」は昔池畔に「善福寺」があったことに、「永泉寺緑地」は永泉寺があったことに由来していますし、玉川上水公園のある「永福」の地名もお寺に由来するもので、1522年に「永福寺」ができたのでここは「永福寺村」になったのだそうです。
善福寺ができたからそれまでの「遲野井川」の名前が「善福寺川」に変わったように、永福寺が作られた1522年より前のこの村は「永福寺村」ではなかったはずです。永福寺は今もありますが、善福寺がなくなっても「善福寺」の名前は地名に残り、永泉寺がなくなっても「永泉寺」の名前は公園の名として残っているわけです。
永福寺
この永福寺の隣には永福稲荷神社がありましたが、この神社を作ったのはなんと永福寺を開山した秀天和尚だそうです。キリスト教の教会を作った同じ人がその隣にイスラム教の教会を作るようなことは考えられませんが、日本のカミサマは宗教ではないから仏教の坊さんが神社を作ってカミサマを祀っても何の支障もないようです。
神仏習合などという都合の良いつじつま合わせの説も創られていましたし、お寺の檀家は神社の氏子でもあるわけですし、特に稲荷に関しては個人の家にも道端にも祠があるように、誰でも作れるようですしね(^_-)。
そういえば、つりがね池でお話を聞かせていただいた横山さんも、「あの稲荷はウチの神社だ」とおっしゃっていましたっけ。
永福稲荷
秀天和尚は伏見稲荷のフランチャイザーになったということでしょうか(^_^.)?
伏見稲荷について考えてみるまで、私は稲荷神社が祀っているのはキツネだと思っていたのですが、稲荷神社の祭神は「宇迦之御霊神(うかのみたまのかみ)」でキツネではありませんでした(^o^)。でも、このカミサマが伏見稲荷の主祭神になったのは室町時代以降のことのようですが。
宇迦之御霊神ってどんなカミサマなのだろう?と改めて調べてみたら、スサノオがクシナダヒメの次に娶ったカムオオイチヒメとの間に生まれたカミサマなのだそうですが、スサノオは実在したヒトですから、宇迦之御霊神が本当にスサノオの子であったなら、カミサマではなくヒトだったのだろうと思いますが、宇迦之御霊神は「『古事記』『日本書紀』ともに名前が出て来るだけで事績の記述はない」そうですから、宇迦之御霊神が実在のヒトだったのか作り話なのかは分かりませんね<(_ _)>。