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武蔵野台地と湧水12 蛇場美遺跡2

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2018.12.20 武蔵野台地と湧水12 蛇場美遺跡2

 
武蔵野台地の端は「○○山」と呼ばれていたような急斜面が多いのに、ここでは甲州街道や玉川上水の通る台地の上から神田川に下る斜面が↓のようななだらかな坂であることには少し違和感がありました。
 
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国分寺崖線の斜面はみな急斜面ですし、神田川の下流の目白台から神田川に下るいくつもの坂なども驚くほどの急坂で、途中が階段になっていて車は通れない坂もあります。

目白台から神田川に下る坂
 
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けれど、何年か前まで狭くて急で家が建て込んでいたという淀橋台から神田川に下る坂は、今は片側2車線の広くなだらかな環状4号線に変わっていますし、神田川を挟んだ対岸の目白台から神田川に下る細くて急で車が通ることのできない坂は、今幅を広げ、傾斜を緩くする工事が進んでいます。

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これが開通すると、早稲田通りから不忍通りに繋がる環状4号線になるのですが、そうなったらここが車も通れない細い急坂だったことなど分からなくなってしまうのでしょうね。環状八号線ができる前の杉並や世田谷には畑がたくさんあったことなど分からなくなってしまったように。
 
小川が暗渠にされて家と家の間の路地になり、台地から谷へ降りる細い急坂が4車線の広い幹線道路になるというように、土地や道は激しく変化し続けているのですから、この甲州街道や玉川上水の通る武蔵野台地の上から神田川に下る坂もひょっとすると以前は家の建て込んだ細い急な坂道で神田川の近くは「蛇喰(じゃばみ)」と呼ばれるような地形だったのかもしれません。古代人が暮らしていた頃海だった土地は、隙間なく家の建ち並ぶ町になってしまっているのですし。
 

けれどそういう過去の地形の記憶は、内陸なのに「〇〇島」「○○浜」「○○磯」だとか、山がないのに「○○山」だとか、川などないのに「○○川」だとかというような地名に残っていて、なぜそこにそういう地名が付いているのかは、郷土資料を丹念に読んでみると分かって来るのです(^o^)

 
椿山壮のある武蔵野台地の端は「椿山(つばきやま)」と呼ばれていたこと、神田川の流れる椿山の下は海だったこと、「根津」は海であり津であったことなどは「文京区史」に記されているようですから、この坂が初めから今のようになだらかな坂だったのかどうかや、「蛇場美」は「蛇喰」だったのかどうかも「杉並区史」を読んでみれば記されているかもしれませんね(^o^)「蛇場美」に古墳があったことは記されているようですから。



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