暗渠になった川と言えば、「春の小川」のモデルと言われる代々木の参宮橋から代々木八幡の辺りを流れていた河骨川も暗渠になっているのですが、明治から大正にかけて作詞者の高野辰之がこの辺りに住んでいた頃には、河骨川の周囲は一面の田んぼだったそうです。今の代々木や渋谷の様子からは想像もできないでしょうけれど、春の小川が田んぼの中をのどかに流れていたのは、今からほんの100年ほど前のことなのですよね(^o^)。
私が「古代の地形から『記紀』の謎を解く」に書いたのは、100年前どころか3万年以上前の旧石器時代から現在までの地形の変化なのですから、現在見ている地形とは全く違っていて理解できなかったのでしょうけれど、アマゾンのレビューに「でたらめもでたらめ!! 表紙の地図1枚で酷さが解る。」とお書きになった方がいます。この地図はでたらめではなく過去のある時期の地図なのですが(^_^.)。
「酷いでたらめ」と書かれた「古代の地形から『記紀』の謎を解く」の表紙カバーの地図
この地図を頭からでたらめと決めつけるような方は、日本列島が2500万年前には島ではなく大陸の一部だったというような事実や、2億5000万年前には地球上の陸地はパンゲアという超大陸だったという事実や、今から2億5000万年後にはまた超大陸・アメイジアになるだろうという予想などにはどういう反応を示すのでしょうね?
まあイザナギとイザナミが日本列島を生んだのだと信じているような方には自分のその思い込み以外のどんな科学的事実もでたらめ(フェイクニュース)でしかないのでしょうけれど(^_-)。
代々木八幡の境内には縄文時代の遺跡があることから、私はこの本の中で「代々木八幡は台地の端にあり、麓の山手通りは縄文時代には海だった」と推理したのですが、↓の地形図を見れば一目瞭然ですね。この武蔵野の舌状台地の端の下にあった縄文時代の海の跡が、昭和の初め頃まで春の小川がさらさらと流れていた田んぼだったのです(^o^)。
推理した当時、私は国土地理院の五万分の一の地形図を買ってきて、その等高線から地形を推理し、それを確かめに現地に出かけていたのですが、最近は↑のような色で地形が一目で分かる地図をよく見かけるようになって、実際に行かなくても分かるようになってきました。それでも行ってみるといろいろな発見があるのですよね\(^o^)/。