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武蔵野台地と湧水4

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2018.12.12 武蔵野台地と湧水4
 
武蔵野台地に戻ります。「烏山の鴨池」を調べていて、「宙水」という言葉を初めて知りました。
 
武蔵野台地の三大湧水と言われる井の頭池・三宝池・善福寺池や鴨池は台地の上にあって、周りには山や小高い所はありませんし、流入してくる河川もないので、これらの大きな池の水はいったいどこから来ているのだろう?と疑問に思っていたのですが、水源は標高50m付近にあるという「宙水」だったようです。
 
ところで高井戸で「杉並区の遺跡探訪」をしているつもりだったのに、ふと足元を見たら排水溝のフタに「世田谷区」と書いてあったので「あれ?」と思い、道の角で立ち話をしていた方にここは杉並区ではないのですか?とお聞きしたら、その道を挟んでこちら側が世田谷区北烏山で、向こう側が杉並区久我山だということでした(^o^)
 
 
イメージ 2

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世田谷の区花はサギソウのようです。
 
その道が区境で、玉川上水の開渠部の始まりがあるのは杉並区側、排水溝のフタがあったのは世田谷区側だったのです(^o^)。この一帯は久我山や烏山と呼ばれていた台地の端で、鴨池があるのも玉川上水が流れているのも、この「山」の下ではなく上なのですよね。
 
玉川上水の開渠部の始まり
 
イメージ 3

ここからは暗渠になっている玉川上水は、高井戸駅(高架)の下で神田川に流れ込んでいて、そこには大きな鯉がたくさん泳いでいました。
 
かつては大きな池だったという世田谷区のつりがね池も、標高を調べてみたら45mでしたから、この池の水源も「宙水」で、都市化によってこの「宙水」が枯渇してきたため湧水が枯れて池がだんだん小さくなり、水が退いた跡には次々に家が建てられてしまったということのようですね。
 
突き当りがつりがね池

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イメージ 5

 
武蔵野台地の端には旧石器時代から始まるたくさんの各時代の遺跡があって、3万年以上前にホモサピエンスが日本に到達してから現在まで、ずっと人が住み続けていたようですから、よほど暮らしやすい場所だったのでしょう(^o^)
 
考えてみると、温帯に属していて極端に寒いわけでも暑いわけでもないこの台地の端は、旧石器時代から弥生時代(場所によっては江戸時代)頃まで、内陸に入り込んだ浅い穏やかな海に面していて魚介類や塩を手に入れやすいうえに、あちこちに湧水があってその豊富な湧水が作っていたたくさんの川があり、背後の広大な台地上に広がる雑木林には食料となる木の実や燃料となる木があって獣や鳥が住んでいるなど、生存に必要な食料・清潔な水・塩のすべてが揃っていたのです。
 
今でも地球上には水を得るために大変な時間と労力をかけ、それでも清潔な水や十分な量の水を得られない地域がたくさんあることを考えると、武蔵野台地の端は古代人にとって理想的な条件を備えた「蓬莱山」のような稀有な場所だったのかもしれません(^o^)
 
 
 
 
 
 
 

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