2018.11.29 杉並区の遺跡3
私が古代史の謎解きを始めたのはシャーロック・ホームズの影響で、
世界の塩湖は、みな元は海だったという推理に繋がっていったのもホームズの『緋色の研究』からだったのですが、
今度のアンダマン諸島もまた、140年近くも前に書かれたホームズの『四つの署名』に繋がっていきました。ホームズの科学的・論理的な推理の手法を使えば、歴史学者には解くことのできなかった謎を解くことができるのです\(^o^)/。
それらの謎は、『記紀』のウソと、学者さんたちの非科学的で非論理的で恣意的なつじつま合わせによって生み出されたものなのですから当然なのですが(^_-)
また時空を飛んでしまいましたが、ここでアンダマン諸島から杉並に戻ります(^o^)。
高井戸東遺跡から少し下流の塚山でも区内最大規模だという縄文中期の集落跡が発掘されていたようです。
この一帯には旧石器時代から多くの人が住んでいたようで、↑には「杉並区では約3万年前から人々が生活していた跡が至る所で発見されている」と記されています。
↓は杉並区の遺跡地図で、オレンジ色が少し濃くなっているところが旧石器時代の遺跡なのですが、これを見ると、旧石器時代人は至る所にいたわけではなく、神田川・善福寺川・妙正寺川に面した台地の縁に集中して住んでいたようです(^o^)。
↓ではオレンジ色の濃いところが縄文時代の遺跡なのですが、旧石器時代より数が増えているのは、縄文時代には温暖化によって人口が増えたためでしょう。けれど縄文時代の住居遺跡も同じように神田川・善福寺川などの川に面した台地の縁に集中していますね。
↓を見ると、これらの川の周辺は昭和30年代でもまだ湿地帯だったようですが、それらの低湿地の周辺は久我山・浜田山・塚山・八幡山・烏山など山の付く地名や、三鷹台・富士見ヶ丘など台や丘の付く地名になっていますから、高台だったことが分かります。
では、旧石器時代から縄文時代にかけての遺跡はなぜ同じところに集中しているのか?論理的に考えれば、当時はそこが最も暮らしやすい場所だったからでしょう。人口が少なく、どこでも好きな所に住むことができたのに、わざわざ暮らしにくい所を選んで住んでいたはずはないのですから(^o^)