ほとんど意識していなかったのですが、気が付いたら、私は群馬県だけではなく、府中や多摩の界隈でも敷石住居をいくつも見ていたようです(^o^)
敷石住居は平らな石を使ってはいるようですが、タイルのように隙間なく敷きつめてあったわけではないようですし、石は堅くて冷たくてでこぼこしていますから、その上に座ったり寝たりするのは気持ちの良いものではなかっただろうと疑問に思ったのですが、土からは湿気がモロに伝わってきますから、石を敷いたのは湿気対策だったのかもしれませんね。
石の上に萱や枯草や枯葉などを乗せてその上に毛皮を敷けば、温かくて快適な居住空間になったのではないでしょうか。敷石住居の柄の部分は寒い地方の風防室のような玄関ホールのようですし(^o^)。
敷石住居跡
↓の図のように土や石の上に直に座っていたわけではないだろうと思うのですけれどね~(^o^)。
私は、縄文時代は「縄文時代」というひとくくりで教えられたのですが、1万3000年以上もの年月をひとくくりで考えるのは無理がありますよね。現在、有史時代は古墳時代(3世紀中頃)以降とされているようで2000年にも満たないわけですが、「縄文時代」とひとくくりにされている時代はその6倍以上もの年月なのですから。
以前は「縄文時代」してとひとくくりにされていた時代は、現在は
草創期 17000~12000年前
早期 12000~7000年前
前期 7000~6000年前
中期 6000~4500年前
後期 4500~3500年前
晩期 3500~2400年前
の6期に分けて考えられているようですが、これを見ると縄文時代の始まりは13000年前ではなく、さらに4000年も遡った17000年前になっているようです。
17000年前に本当に縄文土器が作られていたのかどうか調べてみると、日本の最古の土器の一つは、青森県の縄文草創期の大平山元(おおだいやまもと)遺跡から出土した土器で、これは土器に付着した炭化物の放射性炭素年代から16500年前のものと推定されているのだそうです。
けれど、主に東日本で出土している最古の土器は模様のない「無文土器」だそうですし、約14500年前ごろから作られるようになった土器は粘土ひもをはり付けた「隆線文土器」だそうですから、これらは「縄文土器」ではありませんよね。
これらを全部ひとくくりにして「縄文土器」とし、「縄文時代」と呼ぶのはやはり無理があるようですから、時代区分や名前の付け方を見直して整理した方がいいのではないでしょうか(^o^)。
過去の出来事や歴史がどんどん解明されてきて、もう同じ時代を歴史学では「神代」、考古学では「縄文時代」として済ませていられる時代ではなくなってきているのに、いつまでもウヤムヤのままにしていたのでは、チコちゃんに「いつまでも昔のやり方のままでボーッと生きてんじゃね~よっ!」と叱られてしまいますよ(^_-)。