鬼界カルデラ大噴火では、南九州で栄えていた縄文集落と縄文文化は壊滅したようですが、多摩ニュータウンの縄文遺跡からは「磨製石斧」が出土していて、これは南九州の縄文人が生み出したものと考えられているそうですから、多摩丘陵に住んでいた縄文人はこの噴火を生き延びて、火山灰で不毛となった地から逃れて来た人々だったのかもしれません。すると、縄文時代の人口が関東以北に偏っていたのは、やはり鬼界カルデラ大噴火が原因だったのかもしれませんね。
実は、多摩丘陵には遺跡がたくさんあって、多摩ニュータウンには多摩ニュータウン内で出土した土器・石器類などの出土遺物を収蔵する目的で昭和60年(1985年)に建設された東京都埋文センターがあるということを知って、今年の7月に行ってみたのですが、そこに縄文時代の住居を復元した「縄文の村」があったのです(^o^)。それがここで鬼界カルデラ大噴火に繋がってくるとは思ってもみませんでしたが、歴史は全て論理的な因果関係でつながっているのですよね。
その時ここには964ヵ所もの遺跡があるということを知って驚き、なぜ?と思ったのですが、多摩丘陵には、多摩ニュータウン開発が始まるほんの40年ほど前まで、あまり人が住んでいなかったので、多くの遺跡が手付かずのまま残されていたのだそうです。
多摩丘陵の遺跡
南多摩発見伝
ここに人が住み始めたのは32000年前だそうですが、弥生時代の遺跡はあまりないそうで、ここからは後期旧石器時代の石器が多数出土していて、縄文時代早期から縄文時代前期、縄文時代中期を中心に住居跡などの遺跡が多く確認されているのだそうです。
遺跡庭園「縄文の村」
Aは4500年前の敷石住居
Bは6500年前の前期の竪穴住居
Cは5000年前の中期の竪穴住居
Dは発見時の2軒の敷石住居の模型
この日はAの敷石住居で防虫・防腐を兼ねた火焚きが行われていました。
縄文村の木々の向こうに高架を走る電車が見えるのがシュールな感じでした(^o^)。