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縄文時代3

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2018.11.15 縄文時代3

 
時代の区分というものはそれぞれの分野で違い、さまざまな区分の仕方があるようですが、歴史として教えられる区分には「何をもって時代を区分するか」という明確な基準はないようです<(_ _)>
 
「縄文時代」とひとくくりにされている時代には、1万年以上の幅があるのですから、13000年前~2800年前の間のどの部分かで大きな違いがあるのではないでしょうか。縄文時代はそれ以降の弥生時代から現在までを全部合わせた年月よりも2倍以上も長いのですから、その間ずっと同じだったはずはありませんものね。
 
でも、世界史にも日本史にも地球史にも、その他のどの分野の区分にも「神代」という時代区分はないようです(^o^)
 
時代区分には「有史時代」「先史時代」という区分の仕方もあるようで、wikipediaには、
 
日本列島がいつから文字文化をもつようになり、文字社会に入ったかについては、多くの議論のあるところである。現段階では、おおむね古墳時代(3世紀中頃から)が日本の先史時代と歴史時代の境をなすとみなすことができる。ただし、文字資料そのものは弥生土器に漢字が墨書・刻書されている例があり、日本に関する記録としては、前1世紀の中国の史書『漢書』「地理志」などがある。
 
と記されていましたが、私が見たいくつかの番組では、NHKの歴史番組に出て来る学者さんたちは、みなさん弥生時代の日本には卑弥呼の時代まで文字はなかったと言い切る方ばかりでした。出演者を選ぶ段階でそういう論者だけを選んでいるということでしょうか?でも論理的に考えれば、それは間違っていると私は思います。
 
アフリカを出て、34万年前に日本に到達した人達は文字を持っていませんでしたし、アイヌが文字を持たなかったことから見て、その後も縄文人は文字を作らなかったようですが、弥生時代に大陸や朝鮮半島からやって来て支配体制を作り、支配者層になった人たちは文字を持っていたのです。後漢に朝貢して紀元57年に光武帝から「漢倭奴国王」の金印を下賜された倭国の王がいたのですから(^o^)
 

朝貢の使者は当然「上表書」や「朝貢品の目録」などの文書を持っていったはずですから、文字を読み書きできる人がいたはずですし、使者は漢の言葉を聞き取り話すことができたか、それができる人を伴っていたはずです。どの時代であっても、こちらの言いたいことを相手に伝えることができず、相手の言うことが全く分からないのでは使者の役目は果たせなかったはずですから(^o^)

 
卑弥呼の時代まで日本に文字はなかったと思い込んでいる学者さんたちは、後漢に朝貢に行った使者が、「自分たちは何者で、誰の命令で何のために来たのか」をどうやって伝えたと考えているのでしょうね~???
 
まあ伝える以前に、文字も言葉も分からない得体のしれない人物に漢の皇帝が会ってくれたとは思えませんし、ましてや「国王」と刻んた金印を下賜してくれたとは思えませんけれど(^o^)
 
金印 
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↑は福岡市博物館で入手したレプリカですが(^o^)。↓はケースの中に展示されていた本物です。
 
イメージ 3

 
 

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