縄文時代の人口が関東以北に偏っていたのは、7200年前に起きた鬼界カルデラ噴火が原因だったのかもしれないと考えたのは、栃木県の星野遺跡の地層には2万5000年前頃の姶良カルデラ噴火の時の火山灰の地層があったのですが、7200年前の鬼界カルデラ噴火の火山灰層は無かったので、関東以北にはこの噴火による影響はなかったようだと思ったからです。
星野の地層
この星野遺跡で「亀の子型石核」が発見されたため1965年(昭和40)から1978年まで5次にわたって調査が行なわれ、発掘の結果は「原人が活躍した前期旧石器時代で約8万年前の遺跡」として発表されたのだそうですが、その後の調査では明確な石器は発見されなかったため、星野遺跡は、現在は「旧石器時代の遺跡の新発見がなされた記念の場所」ではなく、「その探索が初めて行なわれた記念の場所」と考えられているのだそうです。
亀の子型石核
1950年代前半に栃木県安蘇(あそ)郡葛生町で発見され、「葛生原人」と命名されていた化石人骨は、後に15世紀頃の骨であることが判明したそうですから、栃木県に原人がいたという確証はなくなったようです。
8万年前に栃木県に原人がいたのかどうかは定かではなくなってしまったようですが、星野遺跡の周辺の田畑の表面には「縄文時代の遺物がそこらじゅうにちらばっていた」そうですから、縄文時代に集落があったのは確かなようです。
私がこの遺跡のことを知って行ってみた2014年には、1965年の調査からすでに49年も経っていたので、畑には何かの動物の足跡があっただけで、縄文時代の遺物は一つも落ちていませんでしたが(T_T)、縄文時代の住居が復元されていました(^o^)。
教科書では「旧石器時代・縄文時代・弥生時代・古墳時代・・・・・・江戸時代・明治時代・大正時代・昭和時代」というように区分されていたので、私はこれまで縄文時代をひとくくりの時代として認識してしまっていたのですが、縄文時代には1万年以上の幅があったのですから、その間家の作りや集落がずっと同じだったはずはありませんよね。復元されていた住居は前期と中期のものだったようです。
一つは旧石器時代のものと考えられているそうですから、8万年前の原人はともかく、旧石器時代からずっとここには人が住んでいたようです。