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2018.11.1 コメントへのお返事
 
“縄文のビーナス”は、先史時代の“ヴィレンドルフのヴィーナス”と似通っており、縄文文化も世界史的広がりの中で成立していたことが分かるそうですね。 
2018/10/31() 午後 7:19 [ kojita ]
――・――・――・――・――・――
 
そうなのですか。“ヴィレンドルフのヴィーナス”も私は知らなかったので調べてみたら、オーストリアの旧石器時代の遺跡から出土したもので、約24000年から22000年前に彫刻されたと推定されているそうですが、縄文のビーナスは約4000年から5000年前のものだそうですから、だいぶ年代も出土地の距離も離れているようです。
 
24000年前頃にヨーロッパで肥満体の女性を崇め、その像を作っていた人たち(民族)の子孫が20000年かけて日本列島に到達していたということでしょうか。それとも古代のホモ・サピエンスはみな同じようなメンタリティーを持っていて、アフリカを出てオーストリアへ向かった人々も、シベリアを経由して日本に到達した人々も、時と場所を隔てて同じようなものを作っていたということでしょうか(^o^)
 
いずれにしても、現在「日本人」と呼ばれている人たちは日本列島で発生したわけでも天から降りてきたわけでもなく、みなアフリカで発生したホモ・サピエンスの一員なのですから、世界史と関係のないものなど何一つないのです。どの国でも、同じ時代にニンゲンのしていたことや考えていたことは、多少のズレはあっても変わらなかったようですから、アフリカで発生したホモ・サピエンスがそういうメンタリティーを持っていたということなのかもしれませんね。
 
DNAの解析から、ホモ・サピエンスとネアンデルタール人が混血していたことが分かっているようですから、ホモ・サピエンスは、グレート・ジャーニーの間に各地にいた旧人類との混血などもあって様々な特徴を持つ民族に分化していったのかもしれません(これは想像ですが)。
 
しばらく前に、新聞に載っていた縄文時代の土偶と、「タバコと塩の博物館」で見た南米の土偶とはよく似ていると思ったことがあったのですが、
 
南米の土偶 
イメージ 1

イメージ 2
 
 
シベリアから東に向かって南米に到達した人々と、南に向かって日本に到達した人々とは、そこで分岐するまで同じ集団だったことが分かっているのです。
 
縄文のビーナスには2009年に尖石縄文考古館で対面して、西洋絵画や彫刻のビーナス像とこれらのビーナス像のあまりのプロポーションの違いに「なぜこれらの土偶にビーナスという名前を付けたのだろう?」とその命名のセンスに疑問を持ってしまったのですが(^_-)、この夏国立博物館で開催されていた特別展「縄文―1万年の美の鼓動」で再会しました(^o^)
 
私はこのビーナス像を尖石縄文考古館で見たので、尖石遺跡から出土したのだと思っていたのですが、そうではなく茅野市米沢埴原田(はいばらだ)の棚畑遺跡から出土したのだそうですね。棚畑遺跡も初めて聞いたので、どこにあるのか調べてみなければ・・・・
 
 
 

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