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水上石器時代住居跡4 

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2018.10.27 水上石器時代住居跡4 

 
水上の敷石住居跡は覆屋の中にあって窓からガラス越しに覗くようになっていたので写真は撮れなかったのですが、その後、月夜野郷土歴史館で貰った資料に内部の写真が載っていました。
 
みなかみ町文化財ハンドブック
イメージ 1

1号敷石住居 
イメージ 2

2号敷石住居 
イメージ 3

↑には、この住居跡は(3500年前ではなく)4500年前と書いてあります。私は「人類の歴史」にとって1000年の違いはとても大きいと思うのですが、歴史学者さんたちは大雑把でほとんど気にされていないようなので、歴史書などに記されている「何千前年ごろ」とか「何万年前ごろ」とかというのはどのくらい信憑性があるものなのだろう?といつも疑問に思うのですよね<(_ _)>。その年代も、自説に合わせた「・・・と考えたい」「・・・としてよい」という類の恣意的な解釈なのではないだろうか?と。
 
まあ歴史学者さんたちは、神代とはいつ頃のことかということもはっきりさせないまま、「天皇家は神代から続いている」ということを前提にして歴史を考えているわけですから、何千年、何万年の違いなど些細なことで、古代の天皇や神功皇后が100年以上生きていても、武内宿禰が300年以上生きていても、何の不思議も問題もないということなのでしょうけれど(^_-)
 
それに歴史界では、誰か権威ある肩書を持つ人が「説」を作り出すと、後の人たちは何の検証もせずにそれを既定の事実として引用し、もしそれが事実と明らかに矛盾していることが分かっても訂正することもないようですし<(_ _)>
 
この住居跡が発見されたのは昭和9年と12年で、その頃には「縄文時代」という名称が普及していなかったため、「石器時代という古めかしい名称が付けられた」と記されていますが、世界史には「縄文時代」という区分はないのですから「石器時代」という名称の方が正しいのではないでしょうか。
 

本当に文系の言葉は恣意的で曖昧で分かりにくくて困ります<(_ _)><(__)><(_ _)>。わざわざ分かりにくくしているのではないかと疑いたくなってしまいますが、


「縄文時代」という日本でしか通用しない時代区分をわざわざ普及させたのが昭和12年以降であるということは、戦争や「皇国史観」と関係があるのかもしれないという気がしてきました。
 
「石器時代」という名称は古めかしいのではなく、昭和の初め頃までは日本史も世界史の中で考えられていた(考えることができた)ということで、
 
その後、平泉澄氏によって「皇国史観」が作り出され、日本の天皇は神の子孫であって、日本は世界の歴史などとは関係のない「神国」なのだという思想を国民に刷り込むために、「石器時代」に代えて世界史の区分にはない「縄文時代」という言葉を普及させたということなのではないでしょうか。
 
私は歴史界の事情は全く分からないのですが<(_ _)>、よほど有力な人が言い出し、国がそれを後押し(利用)しないかぎり、新しい言葉が教科書に載せられたり、短期間に広く国民に普及したりすることはないだろうと思いますし、時期的にも「皇国史観」が国策とされた時期と符合しているようだと思うのですが・・・・
 
 
 
 
 

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