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学者さんたちの常識45 コメントへのお返事 

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2018.10.15 学者さんたちの常識45 コメントへのお返事
 
輪廻転生の世界観を持つインドでは歴史に形而上の価値が無く、歴史書が無いそうです。世界史的に歴史書が書かれたのはユーラシア大陸の東と西、形而下の価値を好んだ中華帝国とローマ帝国が発祥なのだそうです。両帝国の周縁国家はその支配者を含めて歴史好きが多いのです。歴史書に何を求めるかは時代により異なるのでしょうが。皇国史観を体現した東大(日本史村)の平泉澄(ひらいずみきよし)は、終戦時、太平洋戦争の負けを認めず辞職したそうです。 
2018/10/12() 午後 8:59 [ kojita ] 
 
 
戦前の思想にも歴史書にも全く縁のなかった私には、kojitaさまのコメントにあるお名前は全く知らない方ばかりです<(_ _)>。「平泉澄」というお名前も今回初めて目にしたのでどういう方なのか調べてみました。
 
福井県大野郡平泉寺(へいぜんじ)村(現在の福井県勝山市)出身の、平泉寺白山神社の第4代宮司さんなのだそうですね。それでこの方が「皇国史観」といわれる思想を作り出した理由が分かりました。
 
天皇がカミサマの子孫であればこそお供してきた人達もカミサマであると主張することができ、その人たちの子孫もカミサマの子孫であると主張できるわけですが、その根本が否定されてしまったらお供の人たちだけがカミサマだと主張することはできなくなってしまいます。つまり神社も神社の祀るカミサマも否定され、特権階級の「カミサマから始まる系図」も全て否定されてしまうわけですから、何が何でも天皇にはカミサマの子孫でいてもらわなければならないわけです。
 
そのために『古事記』を触れてはならない聖典とし、天皇を「絶対不可侵のカミサマ」とする「皇国史観」という思想を作り出したということなのではないでしょうか。
 
神社や祀られているカミサマに関心を持ち始めた頃、どの神社にも巨大な忠魂碑があるのはなぜなのだろう?と疑問に思ったのですが、それもこの「皇国史観」と関係があったようですね。ニンゲンをカミサマとして祀っている神社や、先祖はカミサマだとしてきた人たちにとって「皇国史観」はこれ以上ないありがたい思想だったようです。
 
「忠魂」とは戦争に駆り出され、「皇国史観という思想」に殉じた(させられた)方々の魂ということなのでしょうね。それでは戦争責任を問われるべきなのは、「皇国史観」を作り上げ、利用した人達なのではないでしょうか?
 
ところで、10.12に龍勢ロケットのことを書いたのですが、昨夜もロケット打ち上げのニュースがあったので、あれ?もう終わったのでは?と調べてみたら、毎年10月の第2日曜日に行われるそうですから、昨日だったのですね。12日に見た映像は過去のものだったようです(^o^)
 
この週末は、関東は曇り・雨が続き冷えるということだったので迷ったのですが、今年はこれが最後になりそうだったので、防寒肌着やダウンコートまで用意してまた群馬に行ってしまいました(^o^)。水上の石器時代の住居跡とはどんなところにあるどんなものなのかが気になっていたので。
 
けれど、水上に近づくにつれて天気が良くなってきて気温も上がり、防寒着はいりませんでした\(^o^)/。せっかくのお天気なので、ロープウェイとリフトで天神峠まで行ってみたら、紅葉にはまだ少し早かったのですが、ナナカマドの実が真っ赤になっていました。
 
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天神峠から見た谷川岳 山頂下の山小屋や、尾根道を歩く人たちまではっきりと見えていました。来週にはきっと紅葉は見ごろになっていることでしょう。
 
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