1300年前に不比等が作った(作らせた)ウソ八百の『記紀』と、その荒唐無稽な解釈書である『古事記伝』や平田神道を利用して「国家神道」をデッチ上げた明治政府と神祇官は、その「国家神道」で国民をマインドコントロールし続け、問答無用で日本人から論理性を奪い続けてきたようですが、今また、神社本庁・日本会議・神道政治連盟・美しい日本の憲法をつくる国民の会・森友学園などが総力をあげて「天孫降臨」というウソを元に構築した「国家神道」で国民を洗脳しようとしているようです<(_ _)>。
理不尽な要求をするアマテラスに何の抵抗もせずに国を譲って自分は隠れた(死んだ)大国主のように、兄と皇位を譲り合った挙句に兄(仁徳天皇)に皇位を譲るために自害してしまったというウジノワキノイラツコのように、「争いを好まず自分の命を捨ててまでも謙譲の美徳を発揮するのが日本人である」というのが学者さんたちの常識のようなのですが、「古代史の謎」とされるものを解いてみたら、そこに見えてきたのは譲り合いどころか奪い合いの権力闘争と、自害どころか自分の邪魔になりそうな者はどんな手を使ってでも皆殺しにしてしまうという殺戮の歴史でした<(_ _)>。
教科書の歴史や『記紀』のオハナシを刷り込まれていた私は、いろいろ疑問を感じながらもそれが全くのウソだとは思わず、何か元になるようなものがあったのだろうと考えて、納得できないところは自分で考えてみようと謎解きを始めたのですが、このブログを始めてしばらくたったある日、それまで日常生活では使ったことのなかった「殺した、殺された」という言葉を、毎日のようにブログに書いていることに気が付いて愕然としたことがありました。
疑問を追及してみたら見えてきてしまった「殺すか殺されるか」の権力闘争の歴史に、最初は「まさか・・・・」と戸惑ったのですが、それによって今まで納得できなかった歴史や、訳が分からなかった「古代史の謎」とされていたものが次々に論理的な因果関係で繋がってきたので、やはりそれが現実であって、『記紀』が記しているのは「ウソばっか」の作り話だったのだと思わざるを得なくなりました<(_ _)>。
世界中のどこの国を見ても、「歴史」とは権力闘争の記録なのですし、日本の近現代史だって、武力で勝つか、選挙で勝つかなどの違いはあっても誰が権力の頂点に立つかという権力闘争なのですから、日本の古代だけが例外だったと考える方がおかしいのですし、『古事記』が記しているオハナシも、荒唐無稽な『古事記伝』の解釈から離れて普通に読めば、実は記されているのは権力闘争の戦いなのですよね。登場するカミサマたちはストリップや卑猥な話が大好きなオジサンたちのようですし・・・・
「国譲り」は大国主が国を譲ったわけではなく、タケミカヅチに脅し取られたことを記しているのですし、「神武の東征」は天津族が九州から安芸国や吉備国を攻め落としながら奈良に攻め上り、そこに住んでいた人々を騙し討ちにしたり皆殺しにしたりして大国主・トミノナガスネヒコを殺し、国を奪った経過を記しているのですし、神武が国を建てた後には王位を巡る殺し合いが延々と繰り返されていたことを記しているのですし・・・・・
でも、『古事記伝』を信奉して『記紀』に記されている本当の内容や現実を見ようとしない学者さんたちには、古代は平和でのどかでロマンに満ちた時代であって、『万葉集』はその時代に歌を詠みながら優雅に暮らしていた古代の人たちのロマンや性の賛歌のようにしか見えないのでしょうね<(_ _)>。
先日の地震では札幌の液状化が報道されていましたが、液状化したのは「清田地区」であると聞いて、そこは最近まで水田だった所なのではないかと思ったのですが、古くからそこに住んでいる方のお話では、やはりその一帯は田んぼで、液状化した所は川の流れていた谷だったそうで、埋め立てて宅地が造成されたのは1950年代以降だったようです。
石狩平野は古代には海であり、近年まで湿地帯で、川は海までの水路として一番低い所に残ったものなのですよね。ですから雨が降れば水はそこに集まってしまうのです。
また、広範囲の山崩れも報道されましたが、崩れた部分は柔らかい砂岩や泥岩だったようです。付加体の割れ目の海を埋めたのは、火山灰や海砂や川から流れこんだ泥ですから、東西圧縮によって押し上げられた岩盤の上に乗っていたそれらの柔らかく崩れやすい砂岩や泥岩の表層が滑り落ちたということだろうと思います。
私が納得できなかったのは、学者さんたちが常識としている↓の断層の図なのですが、プレートの上に乗っている土地が下にずれるはずはないだろうと思うのですけれどね~。