2017.3.18 武甕槌命は恋のカミサマ?
春日神社の祭神の一人の武甕槌命(タケミカヅチノミコト)」は、今の談山神社では「恋愛成就のカミサマ」になっているらしい(?)のですが、元は常陸国一宮・鹿島神宮」の主祭神で、鹿の背に乗って鹿島から奈良まで行ったことになっています。
そのため鹿は春日大社の神使だとされ、奈良公園には鹿がたくさんいるのですが、タケミカヅチはもちろん実在したニンゲンであって東国征伐軍の武将だったのですから、馬には乗っていたでしょうけれど、鹿の背に乗って奈良まで延々と歩いて行ったというのは作り話だろうと思います(^o^)。
ではなぜ鹿なのかというと、「鹿島」に関係があるのではないでしょうか。タケミカヅチを祀る神社は全て「鹿島神社」ですし、タケミカヅチが遠征して行った先々には「鹿島」の地名が残っているのですが、その大元は佐賀県の鹿島市のようなので、私はタケミカヅチの最初の領地が佐賀県の鹿島市だったのではないかと考えたのですが(^o^)。
鹿島アントラーズのホームタウンの茨城県鹿嶋市は、元は「鹿島市」でした。だから「鹿島神宮」であり、「鹿島アントラーズ」なのですが、今は「茨城県鹿嶋市」になっているのですよね。これは、佐賀県の鹿島市と茨城県の鹿島市の間で地名の争いがあり、「佐賀県の鹿島市」が大元だということで茨城県の鹿島市は「鹿嶋」と表記することになったからなのです。
鹿嶋市の鹿島神宮
「神話」では大国主に国譲りを迫りに行ったことになっている武甕槌命は、『古事記』では架空の神武天皇の息子になっていて、「日子八井命(ヒコヤイノミコト)」の弟で神沼河耳命(カムヌナカワミミノミコト=綏靖天皇)の兄の「神八井耳命(カムヤイミミノミコト)」とされていますが、実際は、崇神天皇の息子であり、トヨキイリヒコの弟で、イクメイリヒコ(=垂仁天皇)の兄だったのです。
国技館ロビーの国譲りの図 右が武甕槌命で左が大国主命
春日神社と鹿島神宮の関係については「古代の地形から『記紀』の謎を解く」の第5章「藤原氏の祖廟・春日大社と鹿島神宮を推理する」をご参照ください。