2018.2.2 水稲荷と穴八幡29 早稲田大学8 寺社と賭博
以前あるお寺の前を通った時、「ここにはよく黒塗りの車と黒づくめの人たちが大勢並んでいる」と聞いて、「エッ!それじゃテラ銭っていうのは、そのスジの人たちがお寺に払うお金のことだったの?」と驚いて調べてみたことがありました(^o^)。
「寺銭とは、賭博が行われる場合に、それが行われる場所を提供する者に対して支払われる金銭のこと」で、この言葉は、「江戸時代に寺社の境内を賭博を行う場として選び、賭博による儲けの幾らかを寺社に寄進していたことからこう呼ばれるようになった」という説があるそうです。
でも、お寺や神社の説く「悟り」や「神聖性」とは対極にある煩悩と欲の塊のような賭博が、なぜ寺社の境内で行われていたのでしょうね???
その理由は、寺社の敷地内は寺社奉行の管轄であって、違法な賭博が開催されていても町奉行による捜査や検挙ができなかったからだそうです。「不入の権」ですね。江戸時代の寺社は治外法権の無法地帯で、寺社と寺社奉行と博徒は持ちつ持たれつだったということなのでしょうか<(_ _)>。
「不入の権」の他にも、寺社には租税を払わなくてよいという「不輸の権」もあってそれらは既得権益として今も残っており、オウム真理教などもこの既得権益を最大限に利用して短期間に肥大していったようですし、犯罪集団であり殺人集団であることが分かってきても、江戸時代の町奉行と同じように、警察は「宗教法人」には手を出せなかったようです。
どこかの国の「宗教的指導者」が殺人やテロの指令を出して大惨事を引き起こしても、誰も何もできないのもきっと同じなのでしょうね<(_ _)>。
江戸時代の遊郭は大きな寺社の門前にあったということを知った時、寺社の周囲というのはなんだかどこよりも世俗臭が強い場所のようだと思ったのですが、考えてみれば、人が集まるのはどこでも高尚な場所ではなく俗っぽい場所なのですよね(^_-)。
私が江戸時代の遊郭のことを知ったのも落語からでしたが、ウソ八百の「高尚な建前」で飾り立てた「文献」より、落語の方が現実を写しているようです(^_-)。
寺社は賭博の一種の富くじの興業をしていたばかりか、他の賭博の場所の提供までしていたのですね。なるほど、それではお参りやおこもりと称して寺社に大勢の人が集まっていたはずです(^o^)。
そういえば、宮司の座を巡っての骨肉の争いが殺人と自殺にまで発展してしまった富岡八幡も、富くじや勧進相撲を行っていたそうですが、ここでは今も抽選で豪華景品が当たる「富くじ」を節分に配布するそうで、それを求めて毎年長蛇の行列ができるのだそうです。事件の影響で初詣の人出は例年より少なかったようですが、節分はどうなるでしょうね?「人の噂も75日」と言いますから、そろそろほとぼりがさめる頃でしょうか?この事件も、カミサマとは関係のない欲と煩悩から起きたものだったようですが<(_ _)>。