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水稲荷と穴八幡14 高田馬場跡

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2018.1.18 水稲荷と穴八幡14 高田馬場跡

 

山頂しか見えませんでしたが高田富士のある場所も確認できたので、次は「高田馬場跡」へ(^o^)

 
イメージ 1

 

↑の地図を見ると、馬場は早稲田通りに面していたようなので、甘泉園から早稲田通りの方へ坂を上っていくと角のお寿司屋さんに↓の表示がありました。

 
イメージ 2

 

そのそばに、お寿司屋さんの御主人が「この付近の歴史を調べて本にまとめたものを店内で販売している」と書いてあったので、お寿司を食べながらそれを購入しようと思ったのですが、残念ながらお店はお休みだったので(T_T)、高田の馬場跡を一周してみました。今は馬場跡にはビルがびっしり建っていますが、早稲田通りの北に馬場の外周(?)のまっすぐな道が残っていました。享保年間に松並木がつくられ、8軒の茶屋があったというのはこの道でしょうか。

 

この馬場でよく手入れされた美しい馬の訓練を見物するのは、現代なら競馬場に馬や人気騎手を見に行くような庶民の娯楽や行楽だったのかもしれませんね(^o^)。流鏑馬も行われていたそうですから、運がよければ将軍一行や流鏑馬を見物することもできたのでしょうし、「役者絵」や「相撲絵」や「美人画」のような人気騎手(旗本)の武者絵なども売られていたのかもしれません。これは想像ですが(^o^)

 

お寿司屋さんとは反対側の曲がり角に↓の標識がありました。ここまでが馬場だったようです。右の道は早稲田通りです。

 
イメージ 3

 

私闘である仇討ちに、幕府の馬場を使うことができたのだろうか?と疑問に思ったのですが、仇討ちの舞台は馬場の中ではなくこの「茶屋町通り」に面した所だったようで、現在水稲荷神社の表参道にある「堀部安兵衛之碑」は、昭和46年まで茶屋町通りに建っていたのだそうです。

 

松並木と茶屋があったというこの茶屋町通りの両側には、今は建物がビッシリと建っているのですが、その道には↓のような看板が立っていました。

 
イメージ 4

 

大学の周囲の飲食店には「宴会承ります」という表示が出ていましたから、コンパなどで飲んだ後、表通りから一本入ったこの辺りで吐いてしまう人が多いということでしょうか。他では見たことのないこんな看板が道の両側に立っているということは、この辺りで嘔吐する人がよほど多いのでしょうね~<(_ _)>




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