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聖徳太子

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2017.3.22 聖徳太子

 

教科書に載っていて肖像画まである「聖徳太子」を、「昔はそんなすごい人がいたんだ」と思い、その存在を疑ったことなどありませんでした(^o^)。というか、ほとんど関心がなくて、たまたま漫画を読むまでは「一万円札の人」ということくらいしか知らなかったのですが

 
イメージ 1


漫画を読んで、「本当はどんな人だったのだろう?」と興味が湧いてきたので調べ始めてみたら、聖徳太子の人物像ばかりではなく、聖徳太子が生きていた時代そのものが謎だらけだということが分かって来て、今度は『古事記』や『日本書紀』のような歴史の記録がちゃんとあるのに「なぜ謎だらけなのだろう?」という方に関心が向いてしまったわけです(^o^)

 

調べ始めると次から次へと湧いてくる疑問を「なんで?なんで?」と追及していたら、『古事記』も『古事記伝』も「嘘ばっか」で、定評のある学者さんたちの「解釈」はその嘘のつじつま合わせばかりだということが見えてきてしまったのです<(_ _)>

 

古代史に関心があったわけではなかった私は、知らないことばかりだったので疑問が湧くたびに全て一から調べなければならなかったのですが、何も知らなかったために文献や解釈書から都合の良い部分だけを取り出してつじつま合わせてしまうことができなかったので、結果的に様々な謎が解けることになりました(^o^)

 

固定観念や知識による思い込みがあると、ないものがあるように見えてしまったり、実際にあるものが見えなかったりするようですが、先入観も知識もなかった私には、あるものはあり、無いものは無いとしか見えなかったので、「・・・と考えればよい」としてつじつまを合わせてしまうことができなかったのです(^o^)

 

そして次々と疑問を突き詰めていった結果、聖徳太子(厩戸皇子)も推古天皇も蘇我馬子も架空の人物であり、この時代の大王(おおきみ・天皇)は、答礼使としてやってきた裴世清が煬帝に報告したように「オオキミ・アメノタリシヒコ」であったことが分かりました。教科書が教えているのはウソなのです(^_-)

 

聖徳太子といえば、森友学園事件で初めて教育勅語を見た私は、聖徳太子が作ったとされている十七条の憲法みたいだなと思ったのですが、決定的に違うのは、聖徳太子(実際はアメノタリシヒコ)は、官僚など支配層に守るべき徳目を示したのに対し、明治天皇は12の徳目を庶民に要求したというところのようです。これを教育方針に掲げたことが問題になっているのは、その12の徳目自体に問題があるからではなく、この教育勅語が「神話的国体観」「主権在君」をモットーとしていたからなのですよね<(_ _)>

 

ところで、「国家神道」をすり込まれた戦前・戦中の人々は、「国家神道」の神話や「天皇は神である」ということをほんとうに信じていたのかな~?と疑問に思っていたのですが、満州育ちの安部公房氏は「戦時中、満州にあった日本人学校の生徒たちの中に、天皇を神だと信じていたものは一人もいなかった」と言っておられたそうですし、司馬遼太郎氏は「満州の日本人学校だけでなく、日本の内地の小学校や中学校でも誰もが天皇が神であるとは信じていなかったのではないだろうか。私は青年期になっても、天皇が人間でなく神さまだと信じている友人に出逢ったことがない」と書いておられました(^o^)

 

それじゃ、いったい誰が信じていたのだろう?みんな信じるふりをしていただけだったということなのでしょうか?今国会で「天壌無窮」だの「八紘一宇」だのと言っている国会議員はどうなのでしょう?信じているのでしょうか?それともやはり信じているふりをしているだけなのでしょうか?





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