2016.7.13 穂高神社と安曇野34 草の舟での航海7
新聞記事ではこの航海は7.12以降となっていたので、いつ出航するのかな?と思って調べてみたら↓の記事が見つかりました。
↑には「日本人は最初から航海者だったという専門家もこれまで認識できていなかった、凄い過去が分かってきました」と記されていますから、少なくても、日本人は日本列島から湧いて出たのでも天から降って来たのでもないということは認識されてきたようですね\(^o^)/。
でも、この専門家というのはいったい何の専門家のことなのでしょうね?きっちりと検証や実証を重ねてきた生物学者や生物物理学者や分子生物学者といった自然科学系の学者さんのことではないようですから、『記紀』の天孫降臨を信奉し、解釈やつじつま合わせを特技とする人文科学系の歴史学者や哲学者さんたちのことでしょうか(^_-)?
『記紀』が記したのは、支配者である自分たち(王族や貴族)は天から降って来たカミサマだということであって、被支配(被搾取)者の一般庶民が天から降って来たなどとは一言も書かれてはいないのですが、天孫が大国主に国を譲らせて降臨してきたということは、日本列島には天孫が降臨してくる前からヒトがいてクニもあったということですよね(^_-)。それではなぜ日本列島にヒトがいたのかというと、湧いて出たのでも天から降って来たのでもなければどこか外からやって来たのだということでしょう?
私は何の専門家でもありませんが、2010年に「古代の地形から『記紀』の謎を解く」に「日本人は全て渡来人である」と書きました。ごく普通に考えればそういう結論しか出てこなかったからですが、ごく普通に考えられたのは、私が曲芸のようなつじつま合わせのできる専門家ではなかったからかもしれませんね(^_-)。
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「最初の日本列島人は3万8000年前頃に対馬の海を渡って来ました。」とも書いてありますが、対馬の海を渡って来た人たちと、シベリアから渡って来た人たちと、台湾から渡って来た人たちのいずれが先だったのかはちゃんと調べてみなければまだ分からないのではないでしょうか(^_-)。
琉球は17世紀に薩摩藩の侵攻を受けるまで独立王国だったのですから、琉球列島に到達したヒトを「日本列島人」だと言えるのかどうかも疑問ですが、いずれにしても3万年前には「国」の概念も「国境」の概念もまだなく、「日本」という言葉もなかったのですから、「日本列島人」という言葉も自覚もなかったはずですよね(^_-)。
「祖先たちは台湾から舟を出し、100 km 以上先の見えない琉球列島へ向かう航海に出たのです。それはおそらく世界最大の海流である黒潮越えを要する、たいへん困難な航海であったはず。」とも記されていますが、これは、ここまで書いてきたように島があることを知識として知っている現代人の思い込みであって、琉球列島や日本列島の存在を知らなかった3万年前の人たちが、見えもしない島に向って航海に出たはずはないと私は思います。そもそもどこに向ったらいいのか分からないではありませんか(^o^)。
実験航海をする舟は7人乗りの二艘で、13日以降に出航することになったようですが、↓の写真を見ると、実際に遣われる舟はチチカカ湖のトトラの舟にそっくりなものになったようですね(^o^)。
チチカカ湖のトトラの舟