2015.7.30 キトラ古墳壁画の天文図
先日の新聞に、文化庁と奈良文化財研究所がキトラ古墳壁画の天文図について「4世紀頃に中国の長安や洛陽で観察された星座の図を元に作られた」とする分析結果を明らかにしたという記事がありました。
この古墳の天井に描かれた天文図は、三重の円同心(内規・赤道・外規)と黄道、その内側には北斗七星などの星座が描かれ、傾斜部には西に月像、東に日像を配した本格的な天文図で、中国蘇州にある南宋時代(13世紀)の淳祐天文図より約500年古く、現存するものでは東アジア最古の天文図だそうで、総数277個の星が描かれているそうです。
キトラ古墳の天文図の中の北斗七星
この記事によれば、二人の天文学研究者が星座の位置関係を統計的に検討した結果、一人は「4世紀ごろに中国の長安や洛陽があった北緯34度地点で観測されたもの」、もう一人は「紀元前1世紀ごろのもの」と結論付けたのだそうですが、統計的に500年も離れた結論が出てきたとすれば、実際には現実に即して判断する必要がありますよね(^_-)。
これは7~8世紀に造られた古墳の壁画に描かれた図なのですから、普通に考えれば7~800年も前の紀元前1世紀ごろに観測されたものではないだろうと思います(^o^)。
暦やその元となる天文図は、朝鮮では中国から、日本では朝鮮や中国から入手していた貴重で高価なものだったようですが、これはできるだけ新しいものでないと、古いものでは実態とずれてしまっていて役に立たなかったようです。800年も前の天文図やそれを元にした暦がどれほど実態とずれてしまって役に立たなくなってしまうものかを私は小説「天地明察」で知ったのですが(^o^)。
7~8世紀に造られた古墳に描かれていたのであれば、どちらかを選ぶなら紀元前1世紀ごろのものではなく4世紀ごろのものだろうと思います。4世紀のものであっても3~400年も前のものなのですから、実用としては古すぎるのではないかと思いますが、貴重で高価なものだったから家宝として何百年も大事にしまわれていたのでしょうか(^_-)。
天文学的観測やその統計的処理は、「・・・とすればよい」というような恣意的な古代史解釈とは違って厳密に科学的に行われたのでしょうけれど(^_-)、いろいろなものと関連付け、多方面から検討しなければ、数値だけでは正しい答えを導き出すことはできないようです(^o^)。
この天文図は精確なものだそうですが、中国では殷・周の時代から天文学を使って暦を作っていたのですから、正確な天文図も作られていたはずですよね。
そして天文学や暦は、権力者が情報を独占していた古代には「神の力」の演出に使われていたようです。ドラマ「善徳女王」では日食の予測が効果的に使われていましたが(^o^)、この「神の力」は常に観測を続け、修正を加え続けなければ、実態とどんどんずれていって「神通力」を失ってしまうわけですね。
ところでキトラ古墳の石槨の情報を探していたら、なんと去年東京国立博物館でキトラ古墳壁画の特別展が開催されていたことが分かりました。
壁画の他にも発掘中の古墳の写真や古墳の模型や出土品などがいろいろ展示されていたそうですが、全然知りませんでした<(_ _)>。その特別展を見ていれば、「百聞は一見に如かず」だったのですけれどね~(T_T)。でも、去年はまだキトラ古墳がどこにあるのかも知らなかったし、特に関心も持っていなかったのですから仕方ないか(^_^.)。
東京国立博物館に行けば、特別展の図録を入手できるかもしれないと考えたのですが、まだ届いていないけれど先日killy様が教えて下さった佐野勝司氏の本に私の知りたいことが書いてあるかもしれませんね\(^o^)/。
記事によれば、今年の10.9から11.29まで飛鳥資料館で「キトラ古墳と天の科学」の特別展が開催されるそうです。