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山の隆起と世界の塩湖 チチカカ湖と諏訪湖21

2016.1.17 山の隆起と世界の塩湖 チチカカ湖と諏訪湖21
 
『新ウィルス物語』の日沼先生によれば、日本人はATLウィルスのキャリアとキャリアではない人に二分でき、日本人の99%はキャリアではないとおおざっぱに推定できるそうで、不作為な調査では九州・沖縄にはキャリアが断然多く、京都や神戸にはほとんどいなかったそうですが、仙台では一人も見つからなかったのに、仙台の十分の一ほどの人口の石巻ではたくさんのキャリアが見つかるなど不思議に思われたこともあったそうです。
 
でも、この謎は歴史的な考察から解くことができるのです(^o^)。仙台でキャリアが一人も見つからなかったのは、仙台には蝦夷(縄文人)が住んでいなかった(住めなくなっていた)からでしょう。
 
奈良時代にはすでに仙台に国府が置かれていましたし、724年にはさらにその北に多賀柵(多賀城)が造られていますから、蝦夷たちは多賀柵より北に追いやられ、仙台は弥生人の住む土地となっていたのです(T_T)
 
以前「勿来関」の位置はおかしい、そこにあったはずはないのではないか?と考えたのは、多賀城まで弥生人の土地になっていたのであれば、勿来関は多賀城より北にあったのではないか?と考えたからだったのですが。
 
「蝦夷征伐」とは、朝廷が大仏建立に大量に金を必要とした頃に陸奥で金が発見されたため、その金と金の出る土地を蝦夷から奪うために起こされた略奪のための戦争であり、「野蛮で凶暴な蝦夷とそれを征伐した正義の朝廷軍」という教科書で教えられていた歴史は、事実とは全く違う「西部劇」と同じような朝廷(天津族)の殺戮と略奪を正当化するために作られた歪曲された歴史だったのです<(_ _)>
 
この間の事情や、東北のどの辺りにどのような蝦夷の集団がいてどのように朝廷軍に追い詰められていったのか、それに対してアテルイたち蝦夷がどのような抵抗の戦いをしたのかを、私は高橋克彦著『火怨 北の耀星アテルイ』で知ったのですが、読みながらやはり蝦夷の歴史はインディアンが追い詰められていった歴史と同じだったのだと思いました(T_T)
 
そしてこのことは、ATLウィルスのキャリアの分布によって科学的な裏付けが得られたようです\(^o^)/。




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