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コメントへのお返事 飛鳥戸(あすかべ)神社

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2019.7.21 コメントへのお返事 飛鳥戸(あすかべ)神社
 
上ノ太子の飛鳥戸(あすかべ)神社は嶋恵さまのブログの写真で見ると、こぢんまりとした佇まいですね。私の行ったことのある太子町の叡福寺と較べればはるかにマイナーだと思いますね。地方の観光地は戦前の皇国史観に今も毒されている処が多いようであり、渡来系の故地はあまり宣伝しなかったようです。中学の時に耐寒登山で金剛山に上ったことがありますが、金剛山や白山は朝鮮半島由来の名前ではないかと誰かの本に書かれていました。近つ飛鳥は百済昆支王の進駐してきた拠点だったのですね。 
2019/7/20() 午後 9:16 [ kojita ]
 
 
飛鳥戸神社は「昆支王(応神天皇)を祀る神社」ということから想像していたものとは全く違った佇まいでした。たしかにマイナーだったようで、当時はナビにも道が出てこないのでなかなか行き着けず、少し離れた裏側に出てしまったのですが、本当にあれがそうなのかな?と疑問に思ったくらいでした(^_^.)
 
イメージ 1
 
周囲は畑とブドウ畑で、そちら側からは神社に行く道が無かったので引き返し、下に向かう別の道を探して正面に辿り着いてみると「式内大社」と記された社標や手水舎や狛犬があって神社らしい形になっていましたが、階段の上の狭い場所にあった小さな建物はあまり神社らしくは見えませんでした。
 
拝殿
イメージ 2

ブドウ畑
イメージ 3

 
応神天皇を祀るこの神社がこぢんまりしたものになっていたのは戦前の皇国史観によるというよりも、それ以前の『記紀』の作成に由来しているようです。『記紀』は応神天皇を3世紀の天皇だったことにして5世紀の昆支王とは結び付かないようにし、応神天皇が「倭王・武」として在位した5世紀後半には架空の雄略天皇が在位していたことにし、その子孫は大臣の蘇我氏だったことにするなど、応神天皇と応神系大王を隠すことに腐心していたようですから。
 
一方では、「応神天皇は2世紀の架空の仲哀天皇・神功皇后の子で神武天皇の子孫だ」ということにしながら、他方では6世紀に北九州の宇佐に降臨してきた八幡神だということにしていて、この応神天皇を八幡神として祀る八幡神社は全国に4600社あまりもあるのですから、これでは応神天皇とは「3世紀の天皇」つまり「ヒト」だったのか、6世紀に突然現れた「カミサマ」だったのか分かりませんよね~<(_ _)>
 
実際には応神天皇は5世紀に渡来して来た百済の昆支王で「ヒト」なのですが、それを隠すためにわざとワケが分からないようにしているとしか思えません。図書館にあった「八幡神社と八幡神」に関する本を読んでみたら、私には全く納得できるところがなかったのですが、学者さんたちは6世紀に現れた八幡神が3世紀の応神天皇であることにも、カミサマなのに八幡大菩薩というホトケサマであることにも何の矛盾も疑問も感じてはいないようです<(_ _)>
 
八幡神の方の応神天皇を祀る「八幡神社」は、総本社の宇佐神宮や石清水八幡などを始めとしてどこも大きくて立派なのですが、本当の応神天皇(昆支王)を祀っていた飛鳥戸神社は、これが神社?と思うような普通の小さな家のように見えました。
 
石清水八幡 
イメージ 4
 
実は、拝殿の方からは見えなかったので、なんだか神社らしくないな~と思ったのですが、改めて裏から撮った写真を見たら、その小さな家のような拝殿の後ろに本殿の屋根が写っていました(^o^)
 
本殿 
イメージ 5

 
『記紀』を作った人たちは、昆支王(応神天皇)を祀るこの神社を本当は完全に隠すか、できれば無くしてしまいたかったのでしょうけれど、これを祖廟として守る子孫の「石川氏」が大勢いたために潰してしまうことはできなかったということでしょうか。
 

ヒトは移動すると、移動先に元の地名を付けていたようですから、金剛山は朝鮮半島の金剛山(クムガンサン)、白山は白頭山(ペクトゥサン)ではないかと思います(^o^)




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