2015.11.26 甲府盆地の海
この時は一宮御坂で高速を降り、まずは高速道路の近くにある甲斐国分寺跡と国分尼寺跡を探して場所と地形を確かめてから塩の山を目指すことにしました。
甲斐国分寺跡 標高361mの所にありました
甲斐国分尼寺跡 標高345mの所にありました
国分寺から下って行く道を「この道は海の底に向っているよね」と言いつつ塩の山に向かっていると、途中で「釈迦堂遺跡」の表示が出てきたのですが、時間がなかったので「ここはまだ標高が高いから、きっと釈迦堂遺跡は縄文時代の遺跡で、この高さがその頃の海際でここより下は海だったのだろう」と思いながら通り過ぎることにしました。
ところが今調べてみたら、ここには縄文時代早期から平安時代までの遺跡群が南北450mにわたって分布していて、塚越北A地区の縄文早期の層からはハマグリの破片が出土していたそうです(^o^)。
このハマグリは2008年時点で山梨県における最古の海産物資料とされていて、食用の生貝ではなく装飾品など貝製品として持ち込まれたと考えられているのだそうですが、私はそのハマグリは縄文早期にここに住んでいた人たちが食べたものだと思います。遺跡群の標高は450m前後だそうですが、塩の無い所では人は生活できなかったのですから、縄文早期にここに人が住んでいたなら、ここは貝の住む海辺だったのです(^o^)。
甲府盆地は海だったのではないかと考えた時、真っ先に貝塚があるかどうかを調べてみたのですが、貝塚の情報は一つも見つかりませんでした<(_ _)>。でも、縄文早期の遺跡があり、そこからはハマグリの破片が出土しているのですから、この集落の周辺には必ず貝塚があるはずだと私は思います。
この遺跡群は、中央自動車道の工事の際に発見され、1980年(昭和55年)から翌年にかけて山梨県教育委員会が発掘調査をしたのだそうですが、「山梨県には海がないのだから貝塚などあるはずがない」との思い込みから貝塚の調査などされたことはないのだろうと思います(^_-)。ハマグリの破片が出土しても、それは食用の生貝のはずはないと考えるのも同じ思いこみからでしょう(^o^)。
標高が450mのところに縄文時代早期から平安時代までの遺跡群が集中してあるのは、平安時代頃まではこれより低い所はまだ湿地や海だったからではないでしょうか。「塩の山」と「さしでの磯」はこの頃はまだ名勝地であり有名な歌枕だったようですから(^o^)。
現在の「差出の磯」
下を流れているのは笛吹川ですが、昔から川辺のこんな景色だったのであれば、ここを磯に見立てて名勝地だというのは無理があると私は思うのですが(^_-)。