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武蔵野台地と湧水34 池と湧水11 塚山遺跡2

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2019.1.17 武蔵野台地と湧水34 池と湧水11 塚山遺跡2

 
塚山公園 
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公園案内図
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塚山遺跡

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杉並区の教育委員会はまだ海岸線の変化には気付いていないようで、ここには「神田川と湧水によって浸食された舌状台地」と記されていますが、4500年前には標高32.3mの幡ヶ谷台地の端にある代々木八幡遺跡の下は海だったのですから、

代々木八幡遺跡
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それより古い時代の遺跡のある標高40mの塚山の下も当然海だったはずですよね。この舌状台地は神田川の浸食によってできたものではなく、川は海が退いていくにつれて、雨や武蔵野台地の豊富な湧水の海までの水路として残ったものなのです。
 
下高井戸塚山遺跡 
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ここでは旧石器時代から縄文時代中期(3万年前~3500年前)にかけての集落跡が見つかっているそうですから、この集落の人々は、家を建て替えながら2万6500年以上もここに住み続けていたようです。
 
「転々と地点を移動しながら集落を形成するため最終的には台地の中央部以外は住宅で埋め尽くされた」と記されていますが、そうではなく、2万6500年の間に徐々に世帯が増えたため、集落が外側に広がっていったのではないでしょうか。
 
茅葺の寿命は2030年だそうで、古くなると↓のようになってしまうようですから、
 
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そうなる前に作り直さなければならなかったでしょうし、親子34人が住むには十分だと記されていますが、子供はもっとたくさん生まれたかもしれませんし、その子供たちが大きくなれば手狭にもなったでしょうから、古くなったり窮屈になったりした住居は作り変えて大きくしたり、別に所帯を持ったりしていたのだろうと歴史をロマンで考える歴史学者ではなく「現実的なおなご」である私は思うのですが(^_-)

https://blogs.yahoo.co.jp/sweetbasil2007/40328433.html


土地代も材料費もタダなのですし、自分たちで作るのですから家を建て替えるお金が無いからボロ家に住み続けなければならないということもなかったはずですしね(^_-)


現実的と言えば、新聞のコラムに「現実離れした歴史学者」とあるのを見て、歴史学者とは物事を現実的には考えない人だというのが世間のコンセンサスらしいということを知ったのですが・・・
 
 
今日、また口永良部島の新岳(626m)で爆発的噴火が発生して、噴煙が火口から約6000mの高さに達し、火砕流も流れ出たようです。全島避難となった2015年5月29日の爆発的噴火と比べれば活動規模は小さいそうですが、火山性地震や火山ガス(二酸化硫黄)の放出量が多く、昨年12月の噴火より規模が大きいそうですし、昨年10月、12月に続いての爆発的噴火ですから、噴火の間隔が短くなってきているのではないでしょうか<(_ _)>
 
 

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