1986年に復活されたという玉川上水の流れと緑道は高井戸の高速の下で突然終わっていたので、なぜ?と思って調べてみたら、「ここから上水は暗渠になって高井戸駅前付近で神田川に放流されている」ということだったので、高井戸駅に行ってみました(^o^)。
高井戸周辺の「すぎなみ ある区マップ」には「水路跡歩道」がいくつも記されていますから、この辺りには大正時代頃まで宙水を水源とする湧水や小川がいくつもあったようですが、今はみな暗渠になってしまっているようです。
高井戸駅の周辺には、石神井川に沿って清掃工場から高井戸小学校辺りにかけても旧石器時代からの複合遺跡「高井戸東遺跡」が広がっていたそうですが、この一帯は環八が通って、清掃工場や区民センターや学校が造られ、大きなマンションやビルがたくさん建って、周辺の地形もすっかり変わってしまったようで、見つかったのは区民センターの敷地内にあった↓の案内板だけでした。区民センターの受付で聞いてみたらここにあるのはその案内板だけだということで、他には展示物も資料も情報も全くなかったのですが、それでも公共工事の際に見つかったので記録だけは残ったということなのでしょうね。
清掃工場の煙突
高井戸東遺跡の案内
川はコンクリートの護岸になっていて風情もないし地形も分からないし<(_ _)>、と思いながら橋から川をのぞき込むと、高井戸の駅の下で南から流れてきた水が合流しているのが見えました。それが高速道路の下から暗渠になっていた復活した玉川上水の流れの水だったようです。
それでは、玉川上水はここで終わって、ここから先はもう痕跡もなくなっているということなのかな?と思ったのですが、そうではなく、高井戸駅前で神田川に合流していたのは、1986年に昭島市宮沢町にある多摩川上流水再生センターで高度二次処理を施した下水を使って復活させた流れの水であって、本来の玉川上水は、ずっと南を甲州街道沿いに四谷大木戸へと向かっていて、水路の跡や緑道が残っているようです。