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Channel: 歴史探訪
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2018.9.9 コメントへのお返事
 
日本書紀は819年頃完成との研究結果がありますので、続日本紀、万葉集にある 720年の日本紀とは異なる。万葉集は日本書紀と同様に評を郡に改竄、家持の原万葉集は日本書紀完成後に改竄された。神野の頃に出自の分からない山部の祖を天智として作文。山部は王朝の祖を白壁としており、天智のことは知らかった、文徳は天智からとしています。中大兄は皇子でないので歌は作ります、が御歌は作りませんでしたと万葉集原文にあり。ですから大化と乙巳は天智を入れるための創作改竄それは日本書紀曰と万葉集の題詞にあり、もとの日本紀と 日本書紀の改竄箇所が朱鳥年号と共に示されているように見えます。
では巻1と巻2の冒頭部分は日本書紀からなのか、更に古いことは当方判りませんのでそちらの言われることからは日本書紀において改竄されたと推測します。そこが解明できるならと思うのです。
長屋親王が改竄されており懐風藻にあるように持統なし不比等も全てが日本紀改竄による日本書紀の創作なのでしょうか。
――・――・――・――・――・――
 
よくわからないのですが、『日本書紀』は、720年に完成したものと819年に完成したものの二つがあるということでしょうか?どなたの研究なのか、何を根拠に「819年頃完成」としたのかが私には全く分からないのですが、何か用語とか制度とか、8世紀の初めにはなかったはずのものが記されているからということでしょうか?そのテの疑惑は、十七条憲法などいろいろな所で指摘されているようですが。

「家持の原万葉集は日本書紀完成後に改竄された」というのは、819年以降にということでしょうか?家持は718785年の人ですから、『万葉集』はもともと720年以降に作られたものだと思いますが。
 
でも、『記紀』にしても万葉集にしても、あれだけ膨大なものを短時間で一気に書き上げたということはないでしょうから、長い年月に渡って編纂されていたのでしょうし、その間には不都合な部分を切り取ったり、後から継ぎ足したりしたものもあったのだろうと思います。『古事記』の完成は712年とされていますが、その『古事記』を取り入れた『日本書紀』が完成したのは720年だとされていますから、少なくても8年以上はかかっていたわけですし、「歴史書を書き換えることはさほど珍しいことではなかった」そうですから、その間にもその後にも、手を加える機会はいくらでもあったのでしょうね。
 
ドラマ「イ・サン」を見ていた時、歴史書から不都合な記録を削除する「洗書」という儀式があることを知ったのですが、日本の古代史はもともとが「作り話」なのですから、そのような儀式で内容を公開したりはせず、いつでも書き換えたり書き足したりすることができたのではないでしょうか。
 
また、万葉集の原本は見つかっておらず、今あるのは全て写本だそうですから、書きなおしたり書き足したり写したりしている時に、うっかりその時代に自分が使っていた言葉や文字を書いてしまったということもありそうですね(^o^)
 
文献とはそのようなものであり、それらの「作文」の自説に不都合な部分は無視したり書き間違えたか改竄したのであろうということにしたりして、部分部分でつじつまを合わせた新しい「作文」を作ることもできますし、事実ではないことを前提においてもっともらしくつじつまを合わせた新しい「作文」を作ることもできるのです。
 
例えば「天皇は人類ではなく神代に天から来た神の子孫である」ということを前提において『記紀』を解釈した『古事記伝』を信じ、その『古事記伝』の矛盾点を「・・・と考えればよい」としてつじつまを合わせて新しい作文を作ってきたのが、これまで歴史学者さんたちがしてきたことのようですが、「天孫降臨」自体がウソなのですから、それを元に作った新しい作文もやはりウソでしかないのですよね。
 
私は、『記紀』のウソを信じて何の疑問も持たず、それ以外の見方や考え方を「デタラメ」と決めつける方と論争したり、説得したりするつもりは毛頭ありませんが、ish*ya*ate*aさまはせっかく疑問を持たれたのですから「作文」のつじつまを合わせることを考えるのではなく、誰が何の目的でそのような作文を書いたのかを考えてみる方が真実に迫れるのではないでしょうか。



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