幹線道路は台地の上か下を走っていますし、鉄道や電車は台地の下の古代の海際の平らな所を走っているのであまり起伏を感じないのですが、台地と低地でできている東京は、実は坂だらけなのですよね(^o^)。文京区にも坂が多く、坂の名前にもいろいろ意味やいわれがあって面白そうなので興味を持ち、以前「ぶんきょうの坂道」という冊子を買いました。
ぶんきょうの坂道
文京区の坂 赤い線は全て名前の付いている坂です。
文京区の地形 台地と低地
白い部分は標高20~30mの台地で、左から目白台・小日向台・本郷台。色の濃い所は10~20mの部分、ドットになっている所は0~10mの低地で鎌倉時代までは古東京湾の入り江で海だったところです。
文京区は舌状台地と低地が入り組んでいて、それぞれの高さの土地を繋ぐ道は全て坂道になるので坂が多いわけですが、この冊子には名前のついている106の坂が記載されていました。
目白台の下の低地が高田、神田川の向こう側の低地が早稲田で、江戸時代には水田であり、台地の下には↓のように水田が広がっていたのです。
この低地は古代には入海で、この低地をはさんで目白台に向かい合っているのが水稲荷と穴八幡のある淀橋台なのですが、この目白台と淀橋台の間の海が、藤原秀郷が船でやって来た海で、小日向台と本郷台の間の海が源頼朝が船でやって来た海だったのです(^o^)
そして台地の縁は、人の手が加わるまではどこでも急斜面に木や藪の生い茂るハケになっていたのですよね。今も国分寺崖線にはその雰囲気が色濃く残っているので、台地の上から低地に向かって下りていくハケの道を見るとワクワクします(^o^)。
↓の階段になっている細い坂は、「ぶんきょうの坂道」の102番目に記されている「日無坂」で、『新撰東京名所図絵』には「其の路甚だ狭隘にして、小車を通ずるを得ず。僅かに一人ずつ歩を容るのみ。左右樹木等にて蔽い居れば日無坂の義にてかく呼ぶならむか」と記されているそうですが、かすかにではあってもその頃の雰囲気が残っているような気がするのでお気に入りの坂の一つなのです(^o^)。
この坂を上から見ると
下から見ると