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「人間が神になる話」2

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2017.3.26 「人間が神になる話」2
 
始祖の親鸞がおまじない的なことを厳しく否定したにもかかわらず、庶民の間では本願寺の門跡のお風呂の残り湯を飲めば難病が治ると信じられていたようですが、こういう奇妙な有難がられ方は他の宗旨には無く、他のお寺の管長さんや貫主さんの残り湯はだれも飲んでくれなかったそうです(^o^)。時代を経てオウム真理教がこの俗信を資金源として利用したようですが。
 
親鸞が祈祷などの(収入源となる)呪術的なものを一切否定したため、その子孫は代々貧窮していたのだそうですが、第八代の蓮如の時本願寺はにわかに日本最大の宗旨になったのだそうで、その蓮如は宗教者というよりも、その時代の誰よりも政治家でありアジテーターだったのだそうです。つまり機を見るに敏でやり手だったということなのでしょうね。でも蓮如も「残り湯を飲めば難病が治る」というようなことは言わなかったようです。
 
この呪術や祈祷を嫌ったということに関しては、江戸中期に天台・真言の祈祷僧のおかげで病気が治ったという噂が広まってしまったさる美男の門跡は、法義を崩したことを先祖に詫び、加持祈祷の効果を否定するために頸動脈を切って自裁し「病死する」ことを迫られたというオソロシいエピソードも記されていました(T_T)
 
「自裁」ってなに?と調べてみて、私は自裁と自決の違いをここで初めて知ったのですが・・・・・<(_ _)>
 
では、本願寺は呪術的なものをそれほどに嫌っていたのに、なぜその法義に反する「残り湯を飲めば難病が治る」などという俗信が庶民の間に広まっていたのでしょうね?
 
これは、第十一世の顕如が本願寺の富を使って逼迫していた正親町天皇から「門跡」の資格を買ったことに起因しているのではないかというのが司馬氏の見解のようです(^o^)
 
「門跡」になれるのは、出家した親王か五摂家(藤原北家)の出身者に限られていたのですが、顕如はその門跡の資格を買ってしまったのですね。親鸞の出自や素性は定かではなかったそうですが、顕如が門跡になったことによって、その子孫は親王や五摂家に準ずる貴種(つまり神の子孫)になったわけです。
 
江戸時代の庶民の間には、お公家さんの食べ残しの飯粒をひねって丸薬のように丸めたものを薬として売るとか、疱瘡を患っている子供がお公家さんの輿に土下座する列の前の方ににじり出て輿に接近すると疱瘡が軽くて済むとか、お公家さんの風呂の残り湯を飲用すると万病に効くとかといった信仰があったそうで、庶民の間ではお公家さんは神に近い存在だと思われていたのではないかということなのですが、これは、多分お公家さん自身が「神から続く系図」を捏造し、それを元にして自分は神の子孫だと吹きまくっていたからなのでしょうね(^o^)
 
将軍や、門跡以外の坊さんの残飯や残り湯は薬にはされなかったそうですから、本願寺の門跡の残り湯だけが万病の薬として有難がられたのは、顕如が門跡の資格を買い取ったことによって大谷家が親王やお公家さんの列に加わっていた(=人間から「神の子孫」になっていた)からということなのでしょう。
 
これが、神祇官や本願寺以外の18家の僧が男爵にしかなれなかったのに、東西本願寺の門跡だけが2ランク上の伯爵になれた理由であろうと思います(^_-)
 
 
怪我で休場になるかと思い、優勝はとても無理と思われた稀勢の里が優勝しました\(^o^)/\(^o^)/\(^o^)/。先場所に引き続いて今場所も同じシーンが見られるとは思いませんでしたが、稀勢の里関もお母さんも泣いていましたね。稀勢の里関、おめでとう!!

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