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タケミカヅチノミコトの墓

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2017.3.28 タケミカヅチノミコトの墓

 

高天原は、江戸時代初頭までは地上にあったと考えられていたのに、本居宣長が「高天原は天にあった」とする荒唐無稽な説を発表して以降、『古事記』が脚色して記した天津族の征服と王朝樹立の歴史は天のカミサマとカミサマの子孫のオハナシにすり替えられてしまったようです<(_ _)>

 

そしてその『古事記伝』を古代史解釈の底本にしてきた宣長以降の歴史学者さんたちは、こぞって「高天原は天にある」「天皇はアマテラスという女神(江戸時代までは男神だったようですが)の子孫である」ということを前提として古代史の解釈をしてきたわけですが、『古事記伝』を元にして「国家神道」をデッチあげた人たちの子孫は、高天原が地上にあること、神様というのは人間であることをちゃんと知っているようです(^o^)

 

2009年に鹿島神宮に出かけた時に『鹿島神宮誌』を購入したのですが、そこに「鹿島にはタケミカヅチの墓と伝わる古墳はない」と記されていたので私は本当にびっくりしました。

 

「死んだ人が神様や仏様になると聞かされていたのに、その神様は普通は死んでお墓に埋められるということなのか?」「神様がいるのは天ではなく古墳の中なのか?」「神職は、神社がある所には当然神様のお墓(古墳)があるはずだと思っていたのか?」

 

『古事記』の出雲神話で、兄たちに何度も殺される大国主命の話を読んで、「神様も死ぬのかな~?」と疑問に思っていた私が、「カミサマってやっぱりニンゲンだったんだ!」と確信したのはひょっとするとこの時だったかもしれません(^_-)

 

そこから大国主は何度も殺されてそのたびに名前を変えて生き返ったのではなく、名前の数だけ大国主になった人がいたのではないかと考えたら、謎が解けてきたのですが(^o^)、この大国主に関する推理は「古代の地形から『記紀』の謎を解く」の「六人の大国主」などをご参照ください。

 

自分たちが祀るカミサマがニンゲンであることを、神職は良く知っているからこそ、『鹿島神宮誌』はタケミカヅチを祀る鹿島神宮がある鹿島にタケミカヅチの古墳がないのは不思議だと記したのでしょう(^o^)

 

神祇官たち(宮内省諸陵寮)は日本列島を生んだという神代の時代の架空のカミサマのイザナミにまでお墓を作ってしまっているのです(^_-)

 

宮内省が明治33年に決めたイザナミのお墓

 
イメージ 1

イメージ 2

 

でも『古事記』は、タケミカヅチが大国主に国譲りをさせたのは179万年前の神代だと記しているのですよね。その頃には現人類のホモサピエンスはまだ誕生していなかったのですから、もちろんこれは真っ赤なウソなのですが、それにしても、「鹿島にはタケミカヅチの古墳はない」ことを不思議がっているということは、「タケミカヅチは179万年前の神代ではなく古墳時代の人だ」と言っているのと同じではありませんか。「問うに落ちず、語るに落ちる」ってこういうことを言うのでしょうね(^_-)




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