2017.3.21 聖徳太子?厩戸王?
今日の新聞に、「聖徳太子」の表記を「厩戸王」に変更することを2月に公表した文科省が、最終版ではまた「聖徳太子」に戻そうとしているという記事がありました。
去年「ここまで変わった日本史教科書」という本の広告を見て、↓のようなことを考え、固定観念やそれらの固定観念を作り出した学者さんを信奉する「肩書信仰」は簡単には変わりそうもないけれど、それでも少しずつは変わっていかざるを得ないのではないかと思ったのですが、
やはり変わらないようですね<(_ _)>。まだ戦後72年で、明治政府と神祇官がデッチあげて国民に強制的にすり込んだ「嘘八百の国家神道」が否定されてから100年は経っていませんから、意識の変化にはあと30年くらいはかかるということでしょうか<(_ _)>。
文科省のこの変更は「最近の歴史研究などを反映させたもの」だったそうですが、元に戻す理由は、一般からの意見公募で「表記が変わると教えづらい」という声が多かったからだと記されています。
そういった声が本当に多かったとすれば、固定観念や思い込みの慣性力の強さを示しているのでしょうけれど、「そういう声があるから元に戻してしまう」ということは、事実や、より正確な研究の結果を子供に教えるより、教える側が楽な方を子供に教え込むということなのでしょうか<(_ _)>?
もっとも、「聖徳太子の称号は厩戸王の死後に付けられたものだから厩戸王と表記する」という文科省の修正案も、聖徳太子も厩戸王も架空の人物なのですから、事実でも正確な情報でもなく、修正してもウソであることに変わりはないのですけれどね(^_-)。
でも、「一般からの意見公募で」というのは本当なのでしょうか?この場合の一般人って誰のことで、どうやって選ばれた人たちなのでしょうね?「天皇の譲位問題」を話し合っている「有識者」ってどんな人達で、誰がどういう基準でその人達を選んだろう?」ということも私は分からなかったのですが、その人達の意見で物事が決まっていくのですよね。
このところの一連の動きを見ていると、それらの一般人や有識者を選んだのも、選ばれたのも「日本会議」や「神道政治連盟」の関係者で、「聖徳太子」に戻すように圧力をかけたか、文科省が空気を読んでこのところよく耳にする「忖度」をしたのかな?と疑いたくなってきますけれどね~(^o^)。
なんといっても、現実にはあり得ない大天才で超能力者で、日本史上他に類を見ない聖人君子であり、子孫が全て自害して絶えた悲劇の人でもある「聖徳太子」は、嘘八百のオハナシの中でもピカイチの人物ですし、国家神道にとっても宗教界にとってもいろいろな意味で「稼ぎ頭」でしょうから(^_-)。
森友学園の問題は、否定されつつある「虚偽の国家神道」をなんとか盛り返し、「神の子孫」であることを根拠として得てきた自分たちの特権を守りたい人たちの最後のあがきかな?という気もしますけれど・・・・・・
根拠のない華族制度はすでに廃止され、旧華族の男性だけが正会員になれた華族会館も廃止されて(霞会館と名前を変えてまだ存続しているようですが)、正会員になれるのは旧華族の男性だけだった霞が関カンツリー倶楽部も、女性の正会員を認めざるを得なくなるなど、虚偽の国家神道を根拠としてきた特権や利権は足下から崩壊しつつあるようですから(^_-)。