Quantcast
Channel: 歴史探訪
Viewing all articles
Browse latest Browse all 1389

佐野勝司著「石ひとすじ 歴史の石を動かす」

$
0
0

2015.8.10 佐野勝司著「石ひとすじ 歴史の石を動かす」

 
イメージ 1

 読んでみて、いろいろと納得できたことがありました\(^o^)/。この本をご紹介くださったkillyさま、ありがとうございました。
 

5年前に初めて石舞台古墳の巨石を見て驚き、一体どうやってこんな大きな石をここまで運んできて積み上げたのか?と疑問でいっぱいになって、造り方の図解を見ても「こんなやり方で本当にできたのだろうか?机上の空論ではないのだろうか?」と半信半疑でした。

 

石室の造り方の図解

 
イメージ 2

(知識や実地検分のまだ足りなかった5年前と今とでは、見えるものもそれらから引き出すことのできる推理も大分違ってきています。この5年の間に私も素人なりに少しずつ進化しましたから(^o^)、以前の推理を見ると「まだまだだね」と自分でツッコミを入れたくなってしまうのですが)

 

「まぼろしの邪馬台国」に宮崎康平氏が修羅と滑車を使って重量物を運んだ経験を記されているのを読んだ時にもまだ、あの時代にあれほどの巨大な石を人の力だけで思い通りに動かすことができたということを本当に信じることはできませんでした<(_ _)>

 

ずっとそんな疑問を持っていたので、この5月に橿原市博物館に行った時、飛鳥の古墳に使われていた石が高取山に運ばれて高取城の築城に使われたと聞いて、どうやってそんな山の上まで石を運んだのかと質問攻めにしてボランティアさんを困らせてしまいました(^_^.)。私のしつこい質問にネをあげたボランティアさんが学芸員さんを呼びに行ってくださって、館長さんが直々に解説してくださったのですが、それでもまだ本当には納得できなくて・・・・(-_-)

 

でも、あの図解が机上で作られたものではなく、佐野氏が実際に実験されたことをこの本で知って、「本当にできたんだ」とやっと得心できました(^o^)

 

また、石室の解説に記されている「持ち送り工法」というのもよく意味が分からなかったのですが、この本を読んで、コンクリートで固めた壁は崩れてしまうのに、石を積んだだけの石室がなぜ1000年以上も崩れないでいたのか、その理由が分かりました\(^o^)/。持ち送り工法にはちゃんと力学的な裏付けがあったのです(^o^)

 

持ち送り工法で造られた真弓鑵子塚古墳の石室

 
イメージ 3

都塚古墳の石室

イメージ 4
 

石の目を読み、1000年以上も崩れないように石を組む、というのは経験がモノをいうアートであり、高度な職人技だったのですね。佐野氏が「石はただあるだけの存在」と思われていて石工の技術や仕事が正当に評価されていないためその技術が失われていくと嘆いておられるのはもっともなことだと感じ入りました。

 

↓は先日の新聞に載っていた石のバランスアートなのですが、これは接着剤も支えも使わずに積み上げているものなのだそうです。石を読めばこんなこともできるのですね。

 
イメージ 5

でも実は、この本を読んで一番よく分かったことは、考古学的な実験や、遺跡の解体や復元には途方もない時間と費用がかかるのだということと、学者さんたちはああしたい、こうしたいと限りなく要望を出すけれど、その費用のことは一切考えない人種らしいということでした(^_-)

 

「これはだれがお金出すのですか」「わしらはお金のことは何も聞いていない」・・・というような、繰り返し出てくる佐野氏と学者さんたちのやりとりに思わず笑ってしまったのですが、結局、各方面に交渉して許可を取ったり支援を取り付けたり自腹を切ったりしてお金の算段をし、石を動かす方法を考えて実際に動かすのは、全て経験と技術を持った「石屋のおっさん」である佐野氏の役回りになっていたようです(^o^)

 

このことから「なぜ『記紀』の現実にはあり得ないようなオハナシを学者さんたちは何の疑問も持たずに信じることができるのだろう?」「なぜ激しい権力闘争の記録である古代史が学者さんたちにとってはロマンなのだろう?」という私の長年の疑問が解けました\(^o^)/。

 

費用は避けて通ることのできない現実であり、現実には費用なしで成し遂げられることなど何一つなかったから「歴史の真実は物語には無く会計簿にある」のですが、その「費用がなければ何もできない」という現実を考慮しないのであれば、すべての歴史は「何でもあり」のロマンなのです(^o^)

 

「この国が欲しい」と言えば大国主が「差し上げましょう」と譲ってくれる・・・ 白村江で大敗し敗戦国になってしまったのに、唐から賠償を求められるどころか、唐の使者が天智天皇に献上品を捧げにやってくる・・・ 身一つで吉野に逃れたはずの大海人皇子がいつの間にか大軍勢を率いていて、アマテラスの加護によって朝廷軍に勝ち、あっという間に天皇になってしまう・・・

 

『記紀』はそんな現実には絶対にあり得ないオハナシのオンパレードなのですが、それを丸ごと信じる歴史学者さんたちが見ていたのは「歴史の会計簿」ではなく「物語」だったのですね(^o^)

 

以前、物語で終わるのが男、実際に確かめずにはいられないのが女、ということなのかな?と浅田次郎氏の小説『黒書院の六兵衛』を読んで考えたことがあったのですが、この勘は当たっていたのかも(^_-)

 

Viewing all articles
Browse latest Browse all 1389

Trending Articles