2015.12.10 北海道の縄文遺跡9 北海道の平野も海だった
関東平野で広くて平らな平野と遺跡の位置から、平野は古代には海だったのではないか?と考え始めた頃、真っ直ぐで平らな道を観光バスで延々と走った北海道のことを思い出し、「あの広大な平野も全部海だったなどということがありうるだろうか?もしそれがあり得ないとすれば、平野は古代には海だったという考えは間違っているかもしれない」と迷ったことがあったのですが、やはりどんなに広くても、どんなに内陸にあっても、平野は海だったようです(^o^)。
プレートテクトニクスの理論から、長野にも群馬にも栃木にも埼玉にも海があった理由が分かりましたし、その頃は北海道の大部分は海だったのだから、北海道の広大な平野も古代には海だったのだということも分かりました。北海道の平野が広いのは、海だった部分が大きかったからだったのですね\(^o^)/。
付加体が裂けてフォッサマグナができた頃の日本
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この頃の北海道はほとんどが海だったのです。
石狩川の流域の533万~360万年前の地層から大型のクジラの化石が出てきたことから、石狩平野は少なくても533万~360万年前にはまだ海だったこと、それも体長18m・体重30tという巨大なクジラが泳いでいるような深い海だったことも確かめられました(^o^)。
新潟平野と関東平野は、1000万年前頃に付加体が二つに割れて間が広がった時にできた深い溝(フォッサマグナ)の両端で、古代には海だったのです。
5年前に「古代の地形から『記紀』の謎を解く」に書いた古代の地形の推理が「奇を衒った説」ではなかったことがはっきりしてきました\(^o^)/。
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ネコビタイ便り
昨日の朝の冷え込みで、皇帝ダリアは凍ってダメになってしまっただろうと思ったのですが、意外なことにまだ健在でした(^o^)。植物の環境への順応力はとても高いようです。昨年は二度目の霜で全部凍ってしまったのですが。
2014.12.8の皇帝ダリア
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2015.12.9の皇帝ダリア
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温室育ちだったシンビジューム「マリリン・モンロー」もここ何年かですっかり順応したようで、ベランダに出しっぱなしなのに今年は4本の花芽を伸ばしていて、もうすぐ咲きそうになっています\(^o^)/。
今年は秋まで気温が高かったせいかムベの色付きが遅く、あまりきれいな色にならないまま落ちてしまっていました。この実は甘くてヒヨドリやメジロの大好物なのですが、最近はやってくる小鳥の種類も数も本当に少なくなってしまったので、どれも食べられていませんでした(T_T)。
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パッションフルーツの実が3つ付いているのですが、一つは少し色付いてきましたが、二つはまだ緑色のままです。
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